十訓抄『大江山』の本文と現代語訳(全訳)・品詞分解〜定期テスト予想問題付き〜

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古典ノート

 高校2年生になったら初めて触れるであろう十訓抄の『大江山』の本文と現代語訳・品詞分解の解説です。新教育課程になって「古典探究」と名前を変えた古典の授業ですが、その内容は基本的には変わりません。ただし、より本文を深く読み込んでいったり、他の文献と比べたりすることが多くなると思います。今回は、そのような参考資料や定期テストの予想問題までまとめてみました。授業の予習・復習に活用してみてください。

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本文

和泉(いづみ)(しき)()(やす)(まさ)()にて丹後に(くだ)りけるほどに、京に(うた)(あはせ)ありけるに、()(しき)(ぶの)(ない)()、歌詠みにとられて詠みけるを、(さだ)(よりの)(ちゆう)()(ごん)たはぶれて、小式部内侍ありけるに、「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなく(おぼ)すらむ。」と言ひて、(つぼね)の前を過ぎられけるを、()()よりなからばかり()でて、わづかに直衣(なほし)の袖をひかへて、

  大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず(あま)(はし)(だて)

と詠みかけけり。思はずに、あさましくて、「こはいかに。かかるやうやはある。」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。小式部、これより歌詠みの世におぼえ出で来にけり。

 これはうちまかせての理運のことなれども、かの(きやう)の心には、これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは知られざりけるにや。

 

現代語訳

和泉式部が、(藤原)保昌の妻として丹後の国に下った頃に、都で歌合があったときに、小式部内侍が、(歌合に歌を出す)歌人として選ばれて(和歌を)詠んだが、(藤原)定頼中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いたときに、「丹後へおやりになった人は(戻って、あなたのところに)参上したか。(あなたは)今、どんなに待ち遠しくお思いになっているだろうか。」と言って、局の前を通り過ぎなさったところ、(小式部内侍は)御簾から半分ほど(体を)のり出して、ほんの軽く(定頼中納言の)直衣の袖を捉えて、

大江山から生野を通って行く道が遠いので、まだ天の橋立の地を踏んでみたこともありませんし、母からの手紙も見ていません。

と(和歌を)詠み掛けた。(定頼中納言は小式部内侍がそのような行動に出るとは)思いがけないことに、驚いて、「これはどうしたことだ。このようなことがあるのか、いや、あるはずがない。」とだけ言って、返歌もできず、袖を引き放って、逃げ去りなさった。小式部内侍は、これ以後、歌詠みの世界で名声が高まったということだ。

 このことは普通の当然の結果であるけれども、あの(定頼)卿の心の中では、これほどの(すばらしい)和歌を、すぐさま詠み出すことができるとはお気づきにならなかったのであろうか。

 

品詞分解

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重要単語

次の語句の意味を調べなさい。

ただいまうちまかせておぼえあさまし思はずなり直衣御簾思す心もとなし参る語 句
副詞副詞名詞形容詞形容動詞名詞名詞動詞形容詞動詞品詞
   シクナリ  サ四ラ四活用
①すぐさま。②つい今しがた。たった今。▼ここでは①の意。普通に。①よい評判。名声。②目上の人から寵愛を受けること。▼ここでは①の意。①驚きあきれたことだ。②話にならない。情けない。③(連用形「あさましく」で)ひどく。とても。▼ここでは①の意。思いがけない。意外だ。平安時代の貴族の平常服。貴人の部屋に掛けられているすだれ。(「思ふ」の尊敬語)お思いになる。①気がかりで待ち遠しい。じれったい。②不安だ。③ぼんやりしている。▼ここでは①の意。①(「行く・来」の謙譲語)参上する。おうかがいする。②(「す・仕ふ」の謙譲語。「御格子」「大御酒」などの下について)…(して)さし上げる。…(し)申し上げる。③(「食ふ・飲む」の尊敬語)召し上がる。▼ここでは①の意。意 味

 


参考資料

ここでは十訓抄の『大江山』本文が登場した作品を紹介します。大江山の話の中で素早く和歌を読み上げた小式部内侍がいかに優れた歌人であったかが伺われますね。

■『俊頼髄脳』

 歌の、八つの病の中に、後悔の病といふ病あり。歌、すみやかに詠み出だして、人にも語り、書きても出だして後に、よき言葉、節を思ひ寄りて、かく言はでなど思ひて、悔い妬がるをいふなり。さればなほ、歌を詠まむには、急ぐまじきがよきなり。いまだ、昔より、とく詠めるにかしこきことなし。されば、貫之などは、歌一つを、十日二十日などにこそ詠みけれ。しかはあれど、折に従ひ、事にぞよるべき。

  大江山いくのの里の遠ければふみもまだみず天の橋立

これは、小式部内侍といへる人の歌なり。事の起こりは、小式部内侍は、和泉式部が娘なり。親の式部が、保昌が妻にて、丹後に下りたりけるほどに、都に歌合のありけるに、小式部内侍、歌詠みにとられて詠みけるほど、四条中納言定頼といへるは、四条大納言公任の子なり。その人の、戯れて、小式部内侍のありけるに、「丹後へ遣はしけむ人は、帰りまうで来にけむや。いかに心もとなく思すらむ。」と、妬がらせむと申しかけて、立ちければ、内侍、御簾よりなから出でて、わづかに直衣の袖をひかへて、この歌を詠みかけければ、いかにかかるやうはあるとて、つい居て、この歌の返しせむとて、しばしは思ひけれど、え思ひ得ざりければ、引き張り逃げにけり。これを思へば、心とく詠めるもめでたし。

■口語訳

 和歌の、八つの病の中に、後悔の病という病がある。歌を、早々と詠み出して、人にも語ったり、書いて送ったりした後に、よりよい言葉や、趣向を思いついて、このように詠まないで(残念だった)などと思って、悔しがることをいうのである。そうであるからやはり、歌を詠むような時には、急いではならないというのがよい態度である。今もなお、昔から、早く詠んだことによってすぐれた結果はない。だから、紀貫之などは、歌一首を、十日も二十日もかけて詠んだのだ。そうではあるけれど、その折々に従い、事柄によるべきである。

大江山を越えて行く生野の里が遠いので、まだ天の橋立の地を踏んでみたこともありませんし、母からの手紙も見ていません。

これは、小式部内侍といった人の歌である。事の始まりは(こうである)、小式部内侍は、和泉式部の娘である。親の和泉式部が、藤原保昌の妻として、丹後の国に下っていた頃に、都で歌合があったときに、小式部内侍が、歌人として選ばれて(和歌を)詠むことになった時に、四条中納言藤原定頼といったのは、四条大納言藤原公任の子である。その人が、ふざけて、小式部内侍が(局に)いたときに、「丹後へおやりになったとかいう人は、帰って参上してきたか。(あなたは)今、どんなに待ち遠しくお思いになっているだろうか。」と、悔しがらせようと申し上げて、通り過ぎたので、小式部内侍は、御簾から半分ほど(身を)乗り出して、ほんの軽く直衣の袖を捉えて、この歌を詠みかけたところ、(定頼は)どうしてこのようなことがあるのか、いや、あるはずがないと思って、そのまま(その場に)留まって、この歌の返歌をしようとして、しばらくは思案していたけれど、思いつくことができなかったので、(直衣の袖を)引っ張って逃げてしまった。このことを思うと、素早く発想して詠んだことも立派である。

 

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 次は小式部内侍がいかに歌が上手で、その気持ちを相手にしっかりと伝えられて愛されていたかが分かるお話です。

■『宇治拾遺物語』第八十一話

  大二条殿に小式部内侍歌よみかけ奉ること

 これも今は昔、大二条殿、小式部内侍おぼしけるが、絶え間がちになりけるころ、例ならぬことおはしまして、久しうなりてよろしくなり給ひて、上東門院へ参らせ給ひたるに、小式部、台盤所にゐたりけるに、出でさせ給ふとて、「死なんとせしは。など問はざりしぞ。」と仰せられて過ぎ給ひけるに、御直衣の裾をひきとどめつつ申しけり。

  死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしかいきて問ふべき身にしあらねば

 堪えずおぼしけるにや、かき抱きて局へおはしまして、寝させ給ひにけり。

■口語訳

 これも今となっては昔のことだが、大二条殿(藤原教通)は、小式部内侍を愛していらっしゃったが、通うことが途絶えがちになった頃、病気になられて、しばらくたってから快復なさって、上東門院(彰子)へ参上なさった時に、小式部が台盤所にいたのだが、(大二条殿が)お帰りになろうとして、「(私は病気で)死にそうになったのだよ。どうして見舞いに訪ねて来なかったのか。」とおっしゃって通り過ぎなさった時に、(小式部は)御直衣の裾を引き止めながら申し上げた。

私は死ぬほどひたすら嘆いておりました。生きてあなたのもとに行ってお見舞いできる身の上ではありませんので。

 (大二条殿はこの歌を聞いて)堪えられないほどいとしくお思いになったのであろうか、(小式部を)抱いて部屋にお入りになって、共寝をなさった。

 


テスト予想問題

本文を読んだら、テストの予想問題に取り組んでみましょう。定期テストでしっかりと得点を取ることで内申点(評価)も上がります。高い内申点を取れることは、進路決定に役立つことになります。

発問 和泉式部とはどのような人か。知っているエピソードを答えよ。

答 歌人。作は百人一首にも入る。中宮彰子の女房。『和泉式部日記』の作者。情熱的な恋をした人としても知られている。

発問 「参りたりや」(四四・3)とあるが、どこへ参るのか。

答 小式部内侍の元へ。

発問 「いかに心もとなく思すらむ」(四四・3)の「思す」は誰の動作か。

答 小式部内侍。

発問 「いかに心もとなく思すらむ」(四四・3)の「らむ」を文法的に説明せよ。知

答 現在推量の助動詞「らむ」の連体形。疑問の副詞「いかに」と呼応して連体形となっている。

発問 「御簾よりなからばかり出で」(四四・4)たのは誰か。

答 小式部内侍。

発問 「袖をひかへ」(四四・5)るとは、誰が何をどのようにしたのか。

答 小式部内侍が定頼中納言の直衣の袖を軽く捉えて、そのまま行き過ぎようとしたのを留まらせた。

発問 「大江山…」(四四・6)の和歌を掛詞に注意して、現代語訳せよ。

答 大江山から生野を通って行く道が遠いので、まだ天の橋立の地を踏んでみたこともありませんし、母からの手紙も見ていません。

発問 「詠みかけけり」(四四・7)とあるが、当時和歌を詠みかけられた者はどうしなければならなかったか。

答 返歌をするのが礼儀であった。

発問 「思はずに、あさましくて」(四四・7)の動作主は誰か。

答 定頼中納言。

補充 「思はずに」(四四・7)とあるが、何を「思いがけなく」思ったのか。三十字程度で答えよ。

答 小式部内侍が技巧を凝らした和歌を即興で詠みかけてきたこと。(29字)

脚問 「かかる」(四四・7)は、どのようなことを指しているか。

答 定頼が投げかけた言葉に対して、局の前を通過するまでのほんの短い時間に、小式部内侍が優れた和歌を作って詠みかけてきたこと。

発問 「かかるやうやはある」(四四・7)を品詞分解せよ。

答 かかる―連体/やう―名詞/やは―係助(反語)/ある―ラ変・体

発問 「かかるやうやはある」(四四・7)を現代語訳せよ。

答 このようなことがあるのか、いや、あるはずがない。

補充 「これより」(四四・9)の「これ」の説明として最も適当なものを、次から選べ。

ア 歌会に出す和歌を母に頼っていた小式部内侍を、定頼中納言がたしなめたこと。

イ 和泉式部の和歌を定頼中納言が酷評したことに対して、小式部内侍が和歌で叱責したこと。

ウ 歌作に苦しんでいた小式部内侍に、定頼中納言が適切なアドバイスをしたこと。

エ 定頼中納言の意地悪な発言に対して、小式部内侍がすぐれた和歌で対処したこと。

オ 歌にかこつけて言い寄ってきた定頼中納言を、小式部内侍が和歌で見事にやり込めたこと。

答 エ

補充 「歌詠みの世におぼえ出で来にけり」(四四・9)の現代語訳として最も適当なものを、次から選べ。

ア 世間の歌の名人として天皇から褒められたということだ。

イ 歌詠みの世界で名声が高まったということだ。

ウ 和歌集の撰者の一人に選ばれることになったということだ。

エ 歌人としての身分を公式に許可されたということだ。

オ 歌人の世界で生きていく自覚が芽生えたということだ。

答 イ

発問 「おぼえ出で来」(四四・9)とは、どういう意味か。

答 名声が高まる。有名になる。

発問 「うちまかせての理運」(四五・1)とあるが、これは誰の判断か。

答 編者。

発問 「これはうちまかせての理運」(四五・1)とあるが、「これ」の指す内容は何か。

答 定頼のからかいに対して小式部内侍がとっさに優れた歌を作って詠みかけたこと。

発問 「これはうちまかせての理運」(四五・1)とあるが、編者が小式部内侍の行動をこのように評したのはなぜか。

答 小式部内侍が和泉式部の娘であり、また、後代の者である語り手からすれば、このエピソードの後の小式部内侍の活躍を十分に知っているから。

▼思考力問題▲

補充 以下の文章は、藤原定頼の別の逸話である。「大江山」と本文を読んだ後の発言の中から、解釈として最も適当なものを選べ。

水もなく見えわたるかな(おほ)()(がは)きしの紅葉は雨とふれども

 この歌は、中納言定頼が歌なり。一条院の御時、大堰川の行幸に、歌詠ませられける時、四条大納言、「わが歌はいかでありなん。中納言よくよめかし。」と思はれけるが、すでにこの歌を、「水もなく見えわたるかな大堰川」と詠みあげたりけるに、「はや不覚してけり。」と顔の色を違へて思はれたるに、「きしの紅葉は雨とふれども」と詠みあげたりけるに、「秀歌仕りて候ひけり。」と言ひて、顔の色出で来てぞ思はれける。    (『西行上人談抄』)

【語注】

*一条院…一条天皇。

*四条大納言…藤原公任。定頼の父。

ア 「大江山」では小式部内侍が母に歌の代作を頼んだんじゃないかと邪推しているけど、この文章では自分が父に代作してもらっているね。自分に自信がない人ほど他人を疑うんだよな。

イ 「大江山」では小式部内侍に歌を詠みかけられて狼狽しているし、この文章では下手な歌を詠んでしまったと思って顔色を変えているね。動揺が態度や表情に出やすい人なんだろうな。

ウ 「大江山」では小式部内侍を侮った人物として批判されているけど、この文章では周囲を驚かせる名歌を詠んだ人物として描かれているね。歌人としての力量は確かなんじゃないかな。

エ 「大江山」では小式部内侍の歌に返歌もできす退散したけど、後日天皇の前ではその経験を生かして、地名と掛詞を織り込んだ秀歌を詠み出したね。案外素直な性格の人なのかもしれないな。

オ 「大江山」では小式部内侍を軽く見た結果、歌人としての名声を失うことになったけど、天皇の前で優れた和歌を詠んで見事に汚名返上したね。歌に関しては負けず嫌いなことがわかるな。

答 ウ

▼てびき▲(数研出版の教科書問題)

学習

1 「丹後へ遣はしける人は参りたりや」とは、どのようなことを言おうとしたのか。説明してみよう。

答 母親・和泉式部に歌合で詠む歌について、指導を仰いだろう、(そのために遣わした使者は帰ってきたか)ということ。代作を頼んだろう、というところまで言っている可能性もある。

2 「大江山……」の歌で、小式部内侍が伝えようとしたことを説明してみよう。

答 母親・和泉式部に使者を送り、和歌の指導を仰いだろう、というニュアンスの定頼の言葉に対して、「ふみも見ず」、つまり「母の手紙など見ておりません」と宣言し、かつ自身が定頼中納言の前でそのような質の高い和歌をすぐに作ってみせることで、和泉式部の応援がなくともそれだけのことができる力量があることをはっきりと伝えようとしたと考えられる。

3 「返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり」とは、誰がなぜそのようにしたのか。説明してみよう。

答 定頼中納言が、小式部内侍の予想外の行動に驚き、それに対して適切な対応ができなかったため、とにかくその場を退散した。

言語活動▲

1 『十訓抄』は教訓を示すための説話を集めた作品である。この「大江山」はどのような教訓を示すために収録されていると考えられるか。話し合ってみよう。

答 他人の力量をあなどってはいけない、ということ。

ことばと表現

1 「大江山……」の歌に使われている表現技法を説明してみよう。

答 掛詞…「いくの」に地名の「生野」と「行く野」が掛けられている。また、「ふみ」に「踏み」と「文」が掛けられている。

倒置…「まだふみも見ず」と「天の橋立」。

歌枕…「大江山」「生野」「天の橋立」。

句切れ…四句切れ。

2 「知られざりけるにや」を文法的に説明し、この後に省略されている言葉を補って現代語訳してみよう。

答 知ら―ラ四・未/れ―尊・未/ざり―打・用/ける―過・体/に―断・用/や―係助(疑問)

(省略語)「にや」の後に「あらむ」が省略されている。

(現代語訳)お気づきにならなかったのであろうか。

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