『竹取物語』は、平安時代前期に成立した日本の物語です。「現存する日本最古の物語」とされています。作者は不明で、正確な成立年も未詳になっています。
日本最古の物語と言われる理由は、かの有名な『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」と書かれており、現在まで『竹取物語』が日本最古の物語といわれているからです。
この記事では、そんな『竹取物語』の「天人の迎へ」の場面の、わかりやすい現代語訳・口語訳と品詞分解を解説していきます。さらに「かぐや姫の最後」の場面の本文と現代語訳も併せて掲載していきます。
【本文】
天人の迎へ
かぐや姫は、月を眺めてもの思いに沈むことが多くなった。翁と嫗がその理由を尋ねると、自分は月の世界の者で、八月十五日の夜に迎えが来ると打ち明ける。帝は姫を守るため、兵士たちを翁の家に遣わした。
かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり昼の明かさにも過ぎて光りたり。望月の明かさを、十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて降り来て、地より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち連ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢をとりたてむとすれども、手に力もなくなりて、萎えかかりたり。中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、ほかざまへ行きければ、荒れも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。
立てる人どもは、装束のきよらなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に王とおぼしき人、家に、「造麻呂、まうで来。」と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。いはく、「なむぢ、をさなき人。いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、なむぢが助けにとて、片時のほどとてくだししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金給ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしき己がもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。あたはぬことなり。はや出だしたてまつれ。」と言ふ。翁、答へて申す、「かぐや姫を養ひたてまつること、二十余年になりぬ。『片時』とのたまふに、あやしくなりはべりぬ。また異所に、かぐや姫と申す人ぞおはすらむ。」と言ふ。「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ。」と申せば、その返り事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、「いざ、かぐや姫、きたなき所に、いかでか久しくおはせむ。」と言ふ。立て籠めたる所の戸、すなはち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。嫗いだきてゐたるかぐや姫、外に出でぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。
【現代語訳】
こうしているうちに、宵が過ぎて、午前零時頃に、家の辺りが昼の明るさにもまして光り輝いた。満月の明るさを、十も合わせているほどであって、そこにいる人の毛の穴までも見えるほどである。大空から、人が、雲に乗って降りてきて、地面から五尺ほど上がっているところに、立ち並んでいる。これを見て、家の内や外にいる人々の心は、超自然的な力を持つものに襲われるようで、戦おうとする気持ちもなくなった。やっとのことで気持ちを奮い立たせて、弓に矢をつがえようとするけれども、手に力がなくなって、物に寄りかかっている。(その)中で、気丈な者が、我慢して射ようとするけれども、(矢が)あらぬ方へ飛んでいったので、荒々しくも戦わずに、気持ちがただひたすらぼんやりして、お互いに見つめあっている。
(雲の上に)立っている人たちは、衣装の清らかで美しいことは、比類するものもない。(空を)飛ぶ車を一つ伴っている。(また、)絹張りの大きな傘をさしている。その中で王と思われる人が、家に(向かって)、「造麻呂、出て参れ。」と言うと、(今までは)猛々しく思っていた造麻呂も、何かに酔ったような心地がして、うつぶせにひれ伏した。(天人の王が)言うには、「おまえ、心が未熟な人よ。わずかばかりのよい報いが受けられるような行いを、おまえ(=翁)がしたことによって、おまえの助けに(しよう)と思って、ほんのしばらくの間と思って(かぐや姫を)下界に下したのだが、非常に長い年月、(翁に)多くの黄金をお与えになって、(翁は)生まれ変わったように(裕福に)なってしまっている。かぐや姫は、(月の世界で)罪をお作りになったので、こんなに賤しいおまえのもとに、しばらくの間いらっしゃったのだ。罪を償う期間が終わったので、こうして迎えるのに、翁は泣いて嘆く。(かぐや姫を引き留めるのは)できないことだ。早くお出し申せ。」と言う。翁が、答えて申すには、「かぐや姫を養育申し上げることは、二十年以上になりました。(それをあなたが)『ほんのしばらくの間』とおっしゃるので、疑わしくなりました。また別のところに、かぐや姫と申す人がいらっしゃるのでしょう。」と言う。(翁はさらに)「ここにいらっしゃるかぐや姫は、重い病気をしていらっしゃるので、出ていらっしゃることはできないでしょう。」と申すと、その返事はなくて、(天人の王は)建物の上に飛ぶ車を寄せて、「さあ、かぐや姫、けがれたところに、どうして長くいらっしゃってよいものか、いや、よくありません。」と言う。(すると、かぐや姫を)閉じこめている塗籠の戸は、たちどころに、すっかり開いてしまった。(下ろしてあった)格子も(みな)、人はいないのに開いてしまった。嫗が抱いているかぐや姫は、(嫗から離れて)外に出てしまった。止めることができそうもないので、(嫗は)ただ(かぐや姫が連れ去られる様子を)見上げて泣いている。
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【品詞分解】
29fa3aa3bc3912d99e7c7023b277936d参考資料:竹取物語最後の場面
ここからは『竹取物語』の最後の場面です。天へと帰っていく「かぐや姫」から手紙と「不死の薬」をもらった「帝」が悲しみ、「富士山(富士の山・不死の山)」と名づけられた山が煙を出し続ける所で終わっています。
物語を最初から最後まで読むと、作者による計算された物語構成が分かります。ぜひ最初から読んでみてください。
『竹取物語』末尾
中将、人々ひき具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬること、こまごまと奏す。薬の壺に、御文そへて参らす。ひろげて御覧じて、いといたくあはれがらせ給ひて、物もきこしめさず、御遊びなどもなかりけり。大臣・上達部を召して、「いづれの山か天に近き。」と問はせ給ふに、ある人奏す、「駿河の国にあるなる山なむこの都も近く、天も近く侍る。」と奏す。これを聞かせ給ひて、
逢ふこともなみだに浮かぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、また、壺具して、御使ひにたまはす。勅使には、調の石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山のいただきに持て着くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう、教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし、仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士どもあまた具して、山に登りけるよりなむ、その山を「富士の山」とは名づけける。
その煙、いまだ雲のなかへたち昇るとぞ、言ひ伝へたる。
現代語訳
中将は、人々を引き連れて(内裏へ)帰参して、かぐや姫を戦い留められなかったことについて、詳細に奏上する。(不死の)薬の壺に、(かぐや姫の)お手紙を添えて献上する。(帝は)広げてご覧になって、たいそう悲しまれて、食事もお召し上がりにならず、管弦の遊びなどもなかった。大臣・上達部をお召しになって、「どの山が天に近いか。」とご下問になると、ある人が奏上するには、「駿河の国にあるという山がこの都からも近く、天も近くございます。」と奏上する。これをお聞きになって、
(かぐや姫に)逢うこともないので、(悲しみの)涙に浮かぶような我が身では、死なない薬もどうしようか、いや、どうしようもない。
あの献上した不死の薬に、また、壺を添えて、勅使にお与えになる。勅使には、調の石笠という人をお召しになって、駿河の国にあるという山の頂上に持っていくべき旨をおっしゃる。山頂でしなければならないことを、教えなさる。手紙と不死の薬の壺を並べて、火をつけて燃やさねばならないということを仰せになる。その旨を承って、兵士たちをたくさん連れて、山に登ったことから、その山を、「富士の山」と名付けたという。
その煙は、いまだ雲の中へ立ちのぼると、言い伝えている。
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