高校入学後すぐに「言語文化」の授業で古文が始まっている人も多いと思います。今回は、そのような人へ向けて初単元である『古文に親しもう』に出てくる本文と現代語訳を解説します。
ちなみに教科書は数研出版になります。ぜひ予習の参考にしてみてください。
本文
いろは歌
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
竹取物語
今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきの造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。
伊勢物語
昔、男、初冠して、平城の京、春日の里にしるよしして、狩りに往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、垣間見てけり。思ほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地惑ひにけり。
古今和歌集仮名序
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業しげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひ出だせるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
土佐日記
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。
枕草子
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくもをかし。雨など降るもをかし。
源氏物語
いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、優れて時めき給ふありけり。初めより我はと思ひ上がり給へる御方々、めざましきものにおとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず。
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。
平家物語
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
徒然草
つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
おくのほそ道
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
現代語訳
いろは歌
花の色は美しく映えるけれど、散ってしまうものだから、この世で誰が永遠であろうか。(いや、必ず変わっていくものだ。)移り変わっていく人生の奥山を今日も越えて(いくが)、考えの浅い夢を見るまい。夢に酔うこともするまい。
竹取物語
今となっては昔のことだが、竹取の翁という者がいた。野山に分け入って竹を取っては、(それを)さまざまなことに使っていた。名を、さかきの造といった。その竹の中に、根元が光る竹が一本あった。不思議に思って、近寄って見ると、筒の中が光っている。それを見ると、三寸ほどの人が、たいそうかわいらしい様子で座っている。
伊勢物語
昔、(ある)男が元服して奈良の都、春日の里に領地がある縁で鷹狩りに行った。その里に、とても若々しく美しい姉妹が住んでいた。この男は、(その姉妹を)垣間見てしまった。思いがけず、(この寂れた)旧都に(姉妹が)ひどく不釣り合いな(美しい)感じでいたので、(男は)動揺してしまった。
古今和歌集仮名序
和歌は、(喩えるなら)人の心を種として、さまざまな言の葉となった(ものである)。この世に生きている人間は、経験する出来事や行為が多いものなので、(それにつけて)心に思うことを、見るものや、聞くものに託して、(和歌として)表現しているのである。花の中で鳴くウグイス、水の中に住むカエルの声を聞くと(わかるように)、(人間だけでなく)生きているものすべてで、どの生き物が歌を詠まないだろうか、いや、どんな生き物も歌を詠む。
土佐日記
男もすると聞いている日記というものを、女(の私)も書いてみようと思って書くのである。
ある年の十二月の二十一日の午後八時ごろに、門出をする。その様子を少しばかりものに書きつける。
枕草子
春は夜明け(がいい)。しだいに(空が)白んでいくうち、山と接する空のあたりが少し赤らんで、紫がかっている雲が細く横になびいているさま(がいい)。
夏は夜(がいい)。月(夜)の頃は言うまでもないが、闇夜もやはり、蛍が多く飛び交っているさま(がいい)。また、ほんの一つ二つなどが、ぼんやり光をひいていくのも趣がある。雨などが降るのも趣がある。
源氏物語
どの帝の御代であったろうか、女御や更衣が大勢お仕えなさった中に、たいして高貴な家柄ではない方で、特別に(帝の)ご寵愛をお受けになる方がいた。(宮仕えの)当初から自分こそは(帝のご寵愛を受けるのだ)と気位を高く保ちなさっている方々は、(この方を)気にくわない者としてさげすみ妬みなさる。(この方と)同じ家柄、それよりも低い家柄の更衣たちは、なおさら心穏やかでない。
方丈記
流れゆく河の流れは絶えることはなくて、それでいて(その水は)もとの水ではない。流れのよどんだ所に浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では生じて、長くとどまっている例はない。この世に存在する人と住居(のありさま)も、やはりこのようなものである。
平家物語
祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは無常であるという(真理の)響きがある。(釈迦が入滅したとき白色に変じたと言われる)娑羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表す。おごり高ぶっている人も長くは続かない。(それは)まったく春の夜の夢のよう(に短くてはかないもの)である。勢いが盛んな者もついには滅んでしまった。(それは)まったく(吹く)風の前の塵と同じ(ように、はかなく消えてしまうの)である。
徒然草
することがなく手持ちぶさたなのに任せて、日が暮れるまで、硯に向かって、心に浮かんでは消えていくつまらないことを、とりとめもなく書きつけていると、不思議にも、心が乱れるような気分になる。
おくのほそ道
月日は永遠の旅人であって、来ては去り去っては来る年もまた旅人である。舟の上で一生を過ごし(=船頭)、馬のくつわを取って老いを迎える者(=馬子)は、毎日が旅であって旅を自分の住む家にしている。(風雅を求めた)古人にもたくさん旅の途中で亡くなった人がいる。
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