現代の国語『「わらしべ長者」の経済学』梶井厚志の解説・本文の展開やテスト対策問題

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現代文ノート

 高校1年生で学ぶ『「わらしべ長者」の経済学』の解説です。授業や定期テストでポイントとなる部分を解説します。昔話で知られている『わらしべ長者』をもとに筆者が独自の解説=「経済学の基礎となる考え方」を述べています。

 一般的に理解されている「わらしべ長者」ではなく、実はそこには経済学の視点が欠かせないのだということを論理的に述べています。

 


 

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本文

 昔話に、「わらしべ長者」というものがある。

 昔、貧しい男がいた。男は観音さまに富を授かるよう祈願した。すると、最初に手につかんだものを大切にせよとのお告げがあった。男が最初に手にしたのは何のとりえもないわらしべ(わらの屑)であったが、お告げを信じてこれを捨てずに持ち歩いた。

 飛び回るアブをそのわらしべでしばって持ち歩いたら、道行く子供がそれを欲しがったので、その母親が持っていたミカンとわらしべを交換した。すると、のどが渇いて水気のあるものを探していた商人と出会ったので、商人が持っていた半端の反物とミカンを交換した。

 次には旅を急いでいるのに、馬が倒れてしまった武士と出会った。そこで、その反物と道に倒れた馬とを取り換えた。幸いにも、馬を介抱したら元気になった。馬を連れていると、これから旅に出るため馬を欲しがっている人に出会い、馬と引き換えにその人の屋敷に住んだ。ところが、旅人はいつまでたっても帰らなかったので、屋敷は男のものになり、男は裕福になった。

 「わらしべ長者」の物語では、特段の努力をせずにただ道を歩いていただけで、つまらないわらしべが最後には高価な屋敷に化けたという、男の驚くべき幸運に注目が集まるようだ。実際、「わらしべ長者」をキーワードにインターネット検索をしてみると、少ない元手で楽をして大もうけというたぐいの話が山ほど出てくる。

 話に面白みをつけるにはこれでもよいかもしれないが、この点に気を取られてしまうと、「わらしべ長者」は実直な勤労の美徳と価値を否定する、子供には有害な話とみなされかねない。経済学者としては、「わらしべ長者」が労せず大もうけの意味に解釈されるのは大変残念なことだ。

 なぜなら、「わらしべ長者」は、経済学の視点で見ると非常に興味深く、有害どころか親子でじっくり味わうべき話だからだ。ここには、自発的な取引によって経済学的な利益が生まれ、さらに取引に参加したすべての人たちは利益を受け取ることができる、すなわち交換による経済学的価値の創造という、教科書の第一章に出てくる経済の基本原則が美しく表現されている。

 自発的交換による価値創造の原則は簡単明瞭である。自発的な双方の合意のうえで交換されるためには、交換に応じる双方にとって、交換前よりも交換後の状態の方が好ましいものでなければならず、その差がまさに交換によって得られた価値にほかならない。

 話に現れる取引を振り返ると、断ろうと思えば断れるものばかりだったから、話の中でももちろんこの原則は成り立つ。わらしべを家に変えた男が大いに利益を得たことは言うまでもないが、ほかの人たちも利を得ていることを忘れてはならない。

 子供にとってはミカンよりはわらしべのおもちゃのほうがはるかに魅力的なものだったから、ただのミカンでとても面白いものを手に入れたと喜んだはずである。反物商人も、売れるかどうかわからない余分な着物よりは、ミカンでのどを潤すほうがはるかに良かった。死にかけている馬を手放して新しい着物をもらった人は、良い取引をしたと感じたはずだ。旅に出なければならない人にとっては、家よりも馬のほうがはるかに貴重なものだったはずである。

 


 このような取引からの利益は、物々交換の世の中ゆえに起こることではなく、金銭を使う現代経済でも同じことであることにも注意しておきたい。たとえば、男は千円でわらしべを売り、その千円でミカンを買い取ったと話を書き換えればよい。つまり、特定の取引に貨幣が媒介するかどうかということ自体は問題ではないのだ。

 より本質的なのは、専門用語で言う「市場の非完備性」ということである。つまり、登場する人々がそろって共通に取引できる場が備わっていないという点だ。仮に、物語に登場する人々が一堂に会して、さてお互いに物を売買しましょうということになったら、わらしべを持った男が屋敷を手にする可能性はほとんどない。おそらくは、屋敷を持っている人が、馬を買い取ると提案したであろうし、そのほかさまざまなシナリオを考えても、なかなかわらしべには出番が回ってこないのである。

 したがって、わらしべを持った男が大もうけできたのは、これらの人の間では直接に取引できる場が完備しておらず、また取引を媒介できる人物が彼しかいなかったからである。言い換えれば、これらの人たちの間に眠る経済学的価値を引き出すことができるのは、わらしべの男しかいなかったからだ。そういう役割を担った結果、男はもうけるべくしてもうけたのである。

 それでは、男がそのような役回りを運だけで手に入れたのだろうか。私はそうは思わない。なぜなら、話の中で男は少なくとも二度にわたり、無視できない重要な経済活動をしているからだ。

 第一に、わらしべにアブを結びつけたというところだ。確かにわらしべとアブはたまたまタダで手に入ったものかもしれないが、それらを結びつけたことで男はおもちゃを生産したのである。たとえ原価がゼロであっても、人を喜ばせる創造的なアイディアに対価が支払われることに何らの不都合はないはずである。

 第二に、馬を引き取ったところである。馬が息を吹き返したのは確かに幸運であったが、引き取る時点では倒れていて、死にそうであったということが見逃せない要点である。馬に慣れた武士が見放した馬であるから、馬が助からない可能性はあったはずで、しからば男もこれを考慮に入れて交換に応じたはずなのである。言い換えれば、男は馬が死ぬかもしれないというリスクごと馬を買い取ったのだ。すなわちこれは成功するかしないかわからない、リスクの大きい事業に投資をしたことと同じである。リスクをとってなされた投資の成果を享受することと、労せず富を得ることには大きな差がある。

 さて、ミカンと反物については、男は特段の工夫もなく右から左に取引してもうけたと見ることはできる。しかしこれも、何か特殊な出来事が起こったというわけではない。畑で採れた余ったミカンを街中までトラックで運び、道行く人に売るのと本質的には同じことだ。ここでは、欲している人の元に物を動かすということは、それだけで立派な経済活動であるということが学ばれるべきなのである。つまり、運送業や小売業がなぜ我々の経済の中で大切な役割を占めているのかを説明する、格好の材料が提供されているのだ。

 

 わらしべを持った男には、もちろん運もあった。しかしより大切なのは、男は他人を喜ばすという正当な経済活動を営んだからこそ、利益を積み上げて富貴を得ることができたということだ。ここが「わらしべ長者」にて味わうべき点なのである。

 思うに、「わらしべ長者」にある種の嫌悪感がともなう原因は、特定の個人に話の焦点が当たっているためではないか。つまり、そのほかの人たちが、男との取引の結果どれだけ豊かになったのかが書き込まれていないために、男だけ突出して幸運であり、何かあくどい事をしたかのように見えてしまうのだ。

 たとえば、わらしべを受け取った子供が、少年時代に体験したアブのおもちゃ遊びのアイディアをヒントにして、大人になって玩具メーカーを立ち上げ、末は東証一部上場の大企業にまで成長するところまで話が続いていたら、わらしべ男の生き方を非難する人は少なかろうと思う。

 実際、我々はだれしも毎日何らかの労力をさいては、自分が作り出したものではないものを手に入れて、少しずつ利益を積み重ねるという、わらしべ長者的な生活を営んでいるのである。差があるとすれば、それは一度の取引で得られるもうけの程度と質にある。

 この点についても、わらしべ男が長者になるためにわずか四回の取引しか要さなかったのは、昔話は簡潔明瞭でなければならないという制約の産物と見るべきであり、これをして彼が度を越した幸運の持ち主だとみなすべきではないと私は考える。もっと細かな取引を繰り返して利益を積み重ね、そして結果として一国一城の主になったとしたら、それはまさに地道な勤労の美徳の結果として、賞賛されるべきことではないだろうか。

 「わらしべ長者」は日本独特の話ではない。世界各国にそれに似た昔話があり、そこに経済学的な考え方の普遍性を私は感じるのである。私の特に好きなのはヒマラヤの国ブータンで語られる話だ。

 ある男が畑を耕していたら、宝石が出てきた。すると宝石と馬を交換してほしいという人が現れたので、宝石に興味のなかった男は宝石を手放して馬を得た。次に馬が牛に代わり、そして羊になった。そのような取引を繰り返しているうちに、男の持っているものは鳥一羽になった。

 すると、その鳥が欲しいけれども、交換するものが何もない。自分の知っている歌を一つ教えてあげるから、鳥をくれないかという人がいたので、男は喜んで鳥と歌を引き換えにした。そして男は歌を口ずさみつつ、幸せな顔をして立ち去って行った。

 経済学の理屈では、この男も利益を得たはずだし、実際そうだろう。こういう人物こそ、人生で本当に大きな利益を得られるものではないかと、私は思う。

 

本文の展開図

 


重要語句

 現代文を読み解く上でも重要となってくるのが「語彙力」です。教科書に出てくる重要語句は必ず覚えていきましょう。また定期テストなどでも問題として出題されやすいです。
 一覧でまとめてみましたので、参考にしてみてください。

一堂(に会する)(非)完備(性)媒介明瞭創造自発(的)労する美徳実直元手特段介抱語 句
同じ場所。「一堂に会する」は、同じ場所に寄り集まること。完全にそなわっていること。「非完備性」は、完備されていないという性質。仲立ちとなるもの。はっきりとしていること。明らかなこと。新たに初めてつくり出すこと。物事を自分から進んですること。苦労する。美しい徳。道徳にかなった行為。正直で真面目なこと。事業を始める際に、設備を整えたり、商品や資材を購入したりするのに必要となる金。資本。特別。格別。けが人や病人の世話をすること。看病。意 味
普遍(性)一国一城の主あくどい焦点嫌悪(感)富貴特殊右から左享受投資リスク対価語 句
すべてのものに例外なくあてはまること。「普遍性」は、すべてのものに通じる性質。(一つの国または一つの城の主人ということから、)他からの助けや関与を受けずに、独立している者。方法や程度が普通を越えていて、たちが悪い。人々の関心・注意が集まるところ。また、問題の中心点。憎み嫌うこと。「嫌悪感」は、不快な刺激によって起こる感情。対象を憎み嫌う感情。金銭的な豊かさに恵まれ、地位や身分などが高いこと。普通と異なること。特別であること。入ってきた金銭や品物などがすぐに出て行ってしまうこと。受け入れて楽しむこと。物質的、精神的な利益を受け、それを味わい楽しむこと。利益を得るという目的のために、事業や不動産などに資金を投入すること。また、将来の価値を見通して金銭や労力をつぎ込むこと。危険・危険度。予想通りにはならない可能性。他人に労力や財産を提供した報酬として受け取る利益。意 味

参考資料

 こちらも経済学の観点から絵本を解釈している文章です。是非一読して知識や考え方を深めてみましょう。

■松井彰彦『高校生からのゲーム理論』(二〇一〇 ちくまプリマー新書)

 


1 きつねの手ぶくろ

 ずっと昔、まだ物心つくかつかないかのころ、お母さんやお父さんに読んでもらった絵本を覚えているだろうか。新美南吉『手ぶくろを買いに』もそんな絵本の一冊だったかもしれない。雪が降り積もった寒い冬の晩にお母さんぎつねが子ぎつねに手ぶくろを買ってやりたいと人間の町に行く。そこでお母さんぎつねは子ぎつねの片手を人間の手に変えてやり、白銅貨を渡してお店に手ぶくろを買いに行かせるんだ。あれほど人間の手のほうを出しなさい、と言われたのに、子ぎつねは肝心なところで店主に逆の手、つまりきつねの手を見せてしまう。でも、店の主人は白銅貨をかちかちと言わせて本物であることを確かめて、子ぎつねにちゃんと手ぶくろを渡す。子ぎつねを心配して待っていたお母さんぎつねは、その話を聞いて「人間ってそんなにいいものかしら」とつぶやく。そんな話だ。

 この話を聞いて、店の主人がやさしくてよかったね、とほのぼのすることももちろんOKだ。しかし、店の主人がやさしくなかったらどうなっていたのだろう。子ぎつねはつかまって、マフラーにされてしまったのだろうか。子ぎつねがマフラーにされなかったのは、店の主人がたまたまやさしかったからではない。店の主人が市場倫理をわきまえていたからだ。白銅貨をもらった主人は、それが本物であったから手ぶくろを代わりに渡したのだ。

 あるべき市場の姿がここにある。主人は子ぎつねが人間でなかったからといって分け隔てをするようなことはしない。対価をきちんと払えば子ぎつねだってお客様だ。市場には、姿かたちで分け隔てをされないという安心感がある。

 さあ、ここでぼくなりにお話の続きをしてみよう。あるとき、この町の偉い人がきつねにだまされたと騒ぎ出した。どうやら酔っ払って月の光に照らされた落ち葉を金貨と間違えた。それで、自分の持ち物を全部きつねにあげてしまって、代わりに落ち葉の金貨を受け取ったんだ。もちろん、本当はただ単に自分で川に捨ててしまっただけかもしれない。酔いがさめて天にとどくくらい髪の毛が逆立ってしまったこの偉い人はお触れを出す。今後、きつねからお金を受け取ることを禁止する。受け取った者は処罰する。また、そのようにお金を持ってきたきつねはつかまえること、とね。

 さて、そんなお触れが出たこととは知らないまま、いつの間にか大きくなった子ぎつねが、ああ、いや子ぎつねじゃない、もうお父さんぎつねだ。そのお父さんぎつねが、ある寒い冬の日自分の子どものために手ぶくろを買ってあげようと思い立つ。昔はね、人間の手に変えてもらって手ぶくろを買いにいったんだ。だけど、そんな必要はもうないんだよ。お父さんぎつねはそう言って、白銅貨を二枚、子ぎつねに渡すんだ。

 子ぎつねはおそるおそる、でもお父さんを信じて、お店に行く。だけど、お店の主人はお触れがあるからと手ぶくろを売ってくれないんだ。ここにいるとつかまるからお行き、と店の主人に言われた子ぎつねは、店先でぐずぐずしている。そうこうしているうちに町の偉い人が狩人を従えてやってきた。あ、やや、あそこにいるのは白銅貨を手にした子ぎつねだぞ、きっと木の葉のお金に違いない。追いかけろ、つかまえろ、撃ってもかまわん。

…ズダーン…

   ☆☆☆

 

 経済問題でもゲーム理論は大活躍する。市場は大きなゲームフィールドで、ぼくたち消費者や企業はそこでいろいろな人や企業と関わりながらさまざまな活動を行うプレイヤーだからだ。不況になるたびに、その市場というフィールドで嵐が吹き荒れているから市場を規制しようという議論が盛んになる。ぼくは少し心配だ。市場でモノを売ることができる人を制限したとしてみよう。たとえば、今現在すでにお店を開いている人はいいが、そうでない人は新しくお店を開いてはいけません、というような規制だ。

 そうすると、お店をすでに持っている人は新しい競争を心配しなくてもいいから、少し高い値段でモノを売ることができる。店がつぶれる心配もなくなって万々歳だ。それを見た偉い人が倒産も減って景気がよくなったと、さらに他のモノを売っている店についても同じような規制をする。これもまずまずだね、ということで、多くの市場で同じように規制の網をかけたとする。

 気がついてみると、新しくお店を出そうにも売れるモノがなくなる。これからがんばって新しいお店を出そうという人は困ってしまう。すでにお店を持っている人とまだ持っていない人の間に格差が作られてしまうのだ。

 市場というゲームに参加できるプレイヤーはもう決まっていますから、あなたはプレイできません、と言われてしまうようなものなのである。(中略)

 格差問題の本質は、年功制によって組織に守られている正社員と、市場で戦い続けなければならない非正社員との間に昔からある「身分差」が、長期経済停滞の下で表に出てきたことにある。

 そして、日本の場合、法制度がこの格差を助長している。OECDが現行の雇用法制や過去の判例などを集めて比較したことによって改めて浮き彫りになったのが、日本における正社員と非正社員の保護度合の差である。ごく大雑把に言えば、米国は正社員、非正社員ともに簡単に解雇でき、EU諸国はともに簡単には解雇できない。それに対して、日本では正社員の解雇はEU並みに困難だが、非正社員は米国寄りで比較的解雇しやすい。

 この実情を踏まえ、雇用保護法制における格差を減らす必要性では意見の一致が見られるが、正社員の解雇要件を軽減すべきか、非正社員の解雇要件を厳しくすべきかという点では意見が大きく分かれている。

 労働者保護への社会的要請は高いが、その動きの多くが、大企業を想定して議論されている。中小企業では、その存続がかかっている以上、「非正社員を正社員として雇え、無給の残業や休日出勤をすべてなくせ」と言っても難しいのである。

 大企業に働く人や経営者といった勝ち組の人々は負け組のことはなかなかわからない。強い人こそ身内優先主義を捨て、宮沢賢治の言葉に体現されているような「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という東洋的宇宙観を持つべきかもしれない。強い人も今の社会・経済制度の中で強い立場に置かせてもらっているだけであり、「本当の幸い」は格差が解消しなければ得られないという認識が必要である。これは単なる精神論ではない。正社員と非正社員の間に社会的な格差が大きいと、正社員は非正社員に転落することを恐れて、働きづめに働くことを余儀なくされ、最悪の場合過労死に追い込まれるだろう。格差は非正社員だけでなく、正社員をも追い詰めることになるのである。

 ただでさえ、大企業と中小企業、正社員と非正社員との間には格差が生じがちである。雇用保護法制によってこの両者をさらに分断している日本。その格差を解消しようと非正社員の解雇要件を厳しくすれば非正社員にすらなれない人が出てくるであろう。企業は従業員をリストラし、労働組合は働けない人を排除するが、国家は国民をリストラすることも排除することもできない。できるだけ多くの人々を陽の光で包むために、税制、社会保障も含めたシームレスの制度の構築が急がれる。

   ☆☆☆

 

 実は『手ぶくろを買いに』には前ふりがある。お母さんぎつねがまだ子どもだったころ、いたずらな友だちが農家のあひるを盗もうとして見つかり、命からがら逃げてきた、という経験があるのだ。お母さんぎつねには、あのときと今回の人間の対応の違いがよくわかっていない。市場のルールを守らなかったきつねは痛い目に遭うし、それを守ればたとえきつねでもお客様として扱ってもらえる。それが市場のいいところであり、市場というゲームのルールを知らない人には、市場への参加に当たって、そのルールをきちんと教えておく必要がある。わが国では、市場のしくみやルールについて学ぶ場が少ないが、これこそ実地での訓練のみならず、高校や大学できちんと学ぶ必要があるのである。

 そうそう、あのとき鉄砲で撃たれた子ぎつねはどうなっただろう。幸い、弾はそれ、子ぎつねは山へ戻ることができた。でも、驚いた拍子に白銅貨を落としてしまい、おまけに受けた仕打ちにショックを受けてしばらく寝込んでしまった。

 心の傷がようやく癒えたころ、一人の人間の男が山へやってきた。どうも男は子ぎつねを探しているらしい。鉄砲もかついでいる。男は子ぎつねの足跡を見つけた。

「どうもこの辺りらしいな」

 そうそう言いながら男が顔を上げると、子ぎつねと一瞬目が合った。

「しまった」

 子ぎつねはあわてて身を隠した。男は笑って、ポケットから何か取り出すと、そっとぶなの木の根元に置いて立ち去った。

 男が見えなくなってから、子ぎつねがおそるおそる木の根元に近づいてみると、そこにはひとそろいの手ぶくろと紙切れと白銅貨一枚が置いてあった。そして、紙切れには汚い字でこう書いてあった。

「お品ものとおつりです。

お買いあげ、ありがとうございました。   店主」

 


本文設問集

 定期テストや小テストで出題されるであろう部分をまとめました。これらの本題に答えられるようにしておけば、本文の読解はもちろん、テストに向けた理解も深まりますので、ぜひ考えてみましょう。

発問 「この点」とは、どのような点か。思

答 少ない元手で楽をして大もうけする点。

補充 筆者が「経済学者としては、『わらしべ長者』が労せず大もうけの意味に解釈されるのは大変残念なことだ」と言うのはなぜか。思

答 「わらしべ長者」には、交換による経済学的価値の創造という経済の基本が美しく表現されており、経済学の視点で見ると非常に興味深い話であるから。

補充 「交換による経済学的価値の創造」とは、どういうことか。思

答 自発的な取引によって経済学的な利益が生まれ、さらに取引に参加したすべての人たちは利益を受け取ることができるということ。

補充 「自発的な双方の合意」の前提となるのは、どのようなことか。思

答 交換に応じる双方にとって、交換前よりも交換後の状態の方が好ましいものであるということ。

補充 「その差」とは何か。思

答 交換前の状態と交換後の状態の差。

補充 「断ろうと思えば断れる」とは、どういうことか。思

答 交換によって自分の目的にかなった利益を得られることが見込めなければ、交換に合意しなくてもかまわないということ。

発問 「この原則」とは、どのような原則か。思

答 自発的交換による経済学的価値創造の原則。

 

発問 「子供にとっては」で始まる形式段落は何の具体例か。本文中から十五字で抜き出せ。思

答 ほかの人たちも利を得ていること

発問 「特定の取引に貨幣が媒介するかどうかということ自体は問題ではない」のはなぜか。思

答 物々交換であっても金銭が仲立ちする交換であっても(その交換が自発的で交換前よりも交換後の状態の方が好ましいものになるという)経済学的な価値創造の原則に変わりはないから。

補充 「特定の取引に貨幣が媒介するかどうかということ自体は問題ではない」とは、どういうことか。それを説明した次の文の空欄に適当な語句を入れよ。思

直接的な物々交換から〔  1  〕を仲立ちとする交換になったとしても、その交換が〔  2  〕であり、交換後に〔      3       〕という点では同じであるということ。

答 1 貨幣

2 自発的

3 価値が創造されている

発問 「より本質的なのは、専門用語で言う『市場の非完備性』ということである」とは、どういうことか。次の空欄A・Bに適当な言葉を入れて答えよ。思

わらしべ長者の取引において本質的な問題は( A )という点になく、( B )という点にある。

答 A…貨幣が媒介するかどうか

B…登場する人々がそろって共通に取引できる場が備わっていない

発問 「わらしべを持った男が屋敷を手にする」には、どのような条件が必要か。思

答 登場する人々が直接に取引できる場がなく、取引を媒介できる人物がわらしべを持った男だけという条件。

補充 「これらの人」とは誰か。本文中から十字以内で抜き出せ。思

答 物語に登場する人々(9字)

脚問 「これらの人たちの間に眠る経済学的価値」とは、どのようなものか。思

答 その場では取引できない人たちであっても、機会があれば得ることができるような利益。

補充 「これらの人たちの間に眠る経済学的価値」とあるが、「眠る」を言い換えたものとして最も適当なものを、次から選べ。思

ア 自発的にある

イ 客観的にある

ウ 潜在的にある

エ 創造的にある

オ 伝統的にある

答 

補充 「そういう役割」とは何か。本文中から二十五字で抜き出せ。思

答 これらの人たちの間に眠る経済学的価値を引き出すこと

 

発問 「そのような役回り」とは、どのようなものか。思

答 物語に登場する人々の間で取引を媒介できる唯一の人物として大もうけした役回り。

発問 「無視できない重要な経済活動」とは何と何か。思

答 人を喜ばせる創造的なアイディアによって単なるわらしべに価値を生み出したことと、死にそうな馬を引き取ることによってリスクの大きい事業に投資したこと。

発問 「わらしべにアブを結びつけた」のが経済活動と言えるのはなぜか。思

答 人を喜ばせる独創的なアイディアでおもちゃを生産したことになるから。

補充 「タダで手に入った」を言い換えた箇所を、本文中から五字で抜き出せ。思

答 原価がゼロ

発問 「原価がゼロ」ということは、どういうことか。思

答 タダで手に入ったということ。

発問 「人を喜ばせる創造的なアイディア」とは、具体的にはどのようなことか。思

答 わらしべにアブを結びつけて、おもちゃを作ったこと。

補充 「対価」とは、この取引では具体的に何のことか。思

答 ミカン

脚問 「引き取る時点では倒れていて、死にそうであったということが見逃せない」のはなぜか。思

答 交換する馬が死にそうであるというリスクを含む取引は、将来の利益を見込んで行う「投資」という経済活動であると考えられるから。

補充 「リスク」を漢字三字で言い換えよ。知

答 危険性

 

補充 「リスクの大きい事業に投資をした」とは、この取引では具体的にどういうことか。思

答 死ぬかもしれない馬と、自分が持っていた反物を取り換えたということ。

補充 「リスクをとってなされた投資の成果を享受することと、労せず富を得ることには大きな差がある」とあるが、その「差」とはどういうことか。それを説明した次の文の空欄に入る適当な語句を、本文中から九字で抜き出せ。思

〔             〕かどうかということ。

答 経済活動をしている

補充 「何か特殊な出来事が起こったというわけではない」とは、どういうことか。思

答 一般的な経済活動の原則を逸脱した出来事ではないということ。

発問 「(畑で採れた余ったミカンを街中までトラックで運び、道行く人に売るのと)本質的には同じ」とあるが、どういう点で同じなのか。思

答 欲している人の元に物を動かすことが、相互に利益をもたらす経済活動であるという点。

発問 「立派な経済活動」とあるが、同じ意味の表現をこの形式段落から抜き出せ。思

答 経済の中で大切な役割を占めている

補充 「立派な経済活動」とあるが、「立派な」にはどのような意味が込められているか。それを説明した次の文の空欄に入る適当な語句を、本文中から十字以内で抜き出せ。思

経済活動として最低限必要な条件を満たしており、〔               〕ということ。

答 何らの不都合はない(9字)

発問 「ある種の嫌悪感」を具体的に説明せよ。思

答 男だけが突出して幸運なのは、何かあくどい事をしたためではないかと否定的にとらえる感情。

補充 「わらしべ長者」に「ある種の嫌悪感」を抱く人にとって、「わらしべ長者」はどのような話であると解釈されているか。本文中から二十五字で抜き出せ。思

答 実直な勤労の美徳と価値を否定する、子供には有害な話

発問 「特定の個人に話の焦点が当たっている」とあるが、ここでは具体的にどういうことを指すか。思

答 わらしべを持った男の幸運だけが語られ、ほかの人物の取引の結果については詳しく描かれていないということ。

補充 「わらしべを受け取った子供が、少年時代に体験したアブのおもちゃ遊びのアイディアをヒントにして、大人になって玩具メーカーを立ち上げ、末は東証一部上場の大企業にまで成長する」とは、どのようなことの具体例か。それを説明した次の文の空欄に入る適当な語句を、本文中から三十字以内で抜き出せ。思

「わらしべ長者」の物語において、〔        〕ということ。

答 そのほかの人たちが、男との取引の結果どれだけ豊かになったのか(30字)

 

発問 「わらしべ男の生き方を非難する人は少なかろうと思う」のはなぜか。思

答 わらしべ男以外の人も豊かになった話が加わると、男だけが突出して幸運になった印象が消え、わらしべ男が何かあくどい事をしたと推測されなくなるから。

発問 「わらしべ長者的」とは、どういうことか。思

答 何らかの労力をさいて、自分が作り出したものではないものを手に入れて、少しずつ利益を積み重ねること。

発問 「四回の取引」について男は何を何と取引したか、順に答えよ。思

答 一回目…わらしべをミカンと。

二回目…ミカンを反物と。

三回目…反物を馬と。

四回目…馬を屋敷と。

補充 「これをして」とは、ここでは具体的にどのような意味か。思

答 わらしべ男が長者になるためにわずか四回の取引しか要さなかったということを理由にして、という意味。

脚問 「経済学的な考え方の普遍性」とは、どういうことか。思

答 自発的な交換によって得られる価値の創造といった考え方が、時代や場所に左右されず存在するということ。

補充 「経済学的な考え方の普遍性」とあるが、「普遍」の対義語を本文中から抜き出せ。知

答 特殊

発問 「ブータンで語られる話」について男は何を何と取引したか、省略されている部分は(省略)として順に答えよ。思

答 宝石を馬と。馬を牛と。牛を羊と。(省略)。鳥を歌と。

発問 「ブータンで語られる話」が日本の「わらしべ長者」の話と最も大きく異なる点は何か。思

答 「わらしべ長者」の話が順に市場価値の高い物と取引していくのに対して、ブータンの話は順に市場価値の低い物と取引していく点。

補充 「こういう人物こそ、人生で本当に大きな利益を得られるものではないかと、私は思う」という筆者の主張を説明した次の文の空欄に入る適当な語句を、後からそれぞれ選べ。思

〔  1  〕から始まった交換によって、最終的に〔  2  〕を手に入れた男が「幸せな顔をして立ち去った」ことからもわかるとおり、〔  3  〕とは必ずしも〔  4  〕や〔  5  〕を多く手に入れることを意味するのではなく、〔  6  〕によって〔  7  〕よりも〔  8  〕の方が幸福な状態であることが大切なのである。

ア 自発的な交換

イ 宝石

ウ 土地

エ 交換による経済学的価値の創造

オ 金銭

カ 歌

キ 交換前

ク 交換後

答 1 イ 2 カ 3 エ 4 オ(ウ) 5 ウ(オ) 6 ア 7 キ 8 ク

 

▼思考力問題▲

補充 次は、《「わらしべ長者」の経済学》についての会話文である。空欄1・2に入る語の組み合わせとして最も適当なものを、後から選べ。思

生徒A 本文に「取引に参加したすべての人たちは利益を受け取ることができる」とあるけれど、現代社会においてはみな利益を受け取ることができているよね。

生徒B 例えば、物を売買する場合を考えると、みな利益を得ているようにも思うけど、筆者の言う「取引における利益」とは金銭的な利益のことだけを指すのではないよね。

生徒C 新聞で読んだのだけれど、経済的に困っている人を支援する目的で、物々交換をするプロジェクトがあるそうだよ。プロジェクトの担当者が述べていた、「物々交換によって、人と人とのつながりが生まれたり、それを実感できたりすることにも意味がある」という話が印象的だったな。

生徒D 交換による〔  1  〕な豊かさを重視しているという点で筆者の考え方に通じるね。

生徒E 商品の〔  2  〕な価値よりも、自分にとってどのような価値があるか、相手にとってどのような価値があるか、を考えることが大切だということだよね。

ア 1 物質的 2 世俗的

イ 1 経済的 2 主観的

ウ 1 精神的 2 客観的

エ 1 現実的 2 創造的

答 

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