高校1年生の教科書に掲載されている三浦哲郎作の『とんかつ』。これから高校で国語を学んでいく高校生や初めて授業を担当する若手の先生へ向けて解説をまとめました。また予習や復習にも役立てられるように「読解問題」もあります。
短編の名手と呼ばれた三浦は『とんかつ』の書き出しも特徴的に描いています。さらに「なぞ解きを共有する仕掛け」や「気遣いの交換」なども読解のポイントになってきます。
この記事でさらに小説『とんかつ』の理解を深めてみてください。
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『とんかつ』本文
須貝はるよ。三十八歳。主婦。
同 直太郎。十五歳(今春中学卒業)。
宿泊カードには痩せた女文字でそう書いてあった。住所は、青森県三戸郡下の村。番地の下に、光林寺内とある。
近くに景勝地を控えた北陸の城下町でも、裏通りにある目立たない和風の宿だから、こういう遠来の客は珍しい。
日が暮れて間もなく、女中が二人連れの客だというので、どうせ素泊まりの若い男女だろうと思いながら出てみると、案に相違して地味な和装の四十年配の女が一人、戸口にひっそり立っている。連れの姿は見えない。
女は、空きがあれば二泊したいのだが、と言った。言葉に、日頃聞き慣れない訛りがあった。
「お一人様で?」
「いえ、二人ですけんど。」
女は振り返って、半分開けたままの戸の外へ鋭く声をかけた。ちゃんづけで名を呼んだのが、なおちゃ、と聞こえた。青白い顔の、ひょろりとした、ひよわそうな少年が戸の陰からあらわれて、はにかみ笑いを浮かべながらぺこりと頭を下げた。両手に膨らんだボストンバッグを提げている。もう三月も下旬だというのに、まだ重そうな冬外套のままで、襟元から黒い学生服がのぞいている。そういえば、女の方も厚ぼったい防寒コートで、首にスカーフまで巻いていた。
「これ、息子でやんして……。」
女もはにかむように笑いながら、ひっつめ髪のほつれ毛を耳のうしろへかき上げた。
初めは、近在から市内の高校へ受験に出てきた親子かと思ったが、女中によれば、高校の入学試験は半月も前に済んだという。そんなら、進学準備の買い物だろうか。下宿探しだろうか。それとも、卒業記念の観光旅行だろうか――いずれにしても、二泊三日とは豪勢な、と思っていたが、書いてもらった宿泊カードを見ると、なんと北のはずれからきた人たちである。
これは、ただの物見遊山の旅ではあるまい。宿泊カードの職業欄に、主婦、とか、今春中学卒業、などと書き入れるところを見ると、あまり旅慣れている人とも思えないが、どうしたのだろう。
「まさか、厄介なお客じゃないでしょうね。」
と女中が声をひそめて言った。
「厄介な、というと?」
「たとえば、親子心中しにきたなんて……。」
「あほらしい。」
「だけど、あの二人、なんだか陰気で、湿っぽいじゃありませんか。めったに笑顔を見せないし、口数も妙にすくないし……。」
「それは田舎の人たちで、こんなところに泊まるのに慣れてないから。だいいち、心中なんかするつもりなら、なんでわざわざこんなとこまで遠出してくるのよ。」
「ここなら、近くに東尋坊もあるし、越前岬も……。」
「景色のいい死に場所なら、東北にだっていくらもあるわ。それに、心中する人たちが二晩も道草食う?」
「案外、道草じゃないかも、奥さん。まず、明日は一日、死に場所を探して、明後日はいよいよ……。」
「よしてよ、薄気味悪い。」
もちろん、冗談のつもりだったが、翌朝、親子が、食事を済ませると間もなく外出の支度をして降りてきたときは、ぎくりとした。母親は手ぶらで、息子の方がしぼんだボストンバッグを一つだけ手に提げている。
「お出かけですか。」
「はい……。」
この親子は、なにを話すときでも、きまってはにかむような笑いを浮かべる。客のことで余計な穿鑿はしないのがならわしなのだが、つい、さりげなく、
「今日は朝から穏やかな日和で……どちらまで?」
と尋ねないではいられなかった。
「え……あちこち、いろいろと……。」
母親はそう答えただけであった。あやうく、東尋坊、と口に出かかったが、
「もし、郊外の方へお出かけでしたら、私鉄やバスの時間を調べてさし上げますが。」
と言って顔色をうかがうと、
「いえ、結構で……交通の便は発つ前にだいたい聞いてきましたすけに。日暮れまでには戻ります。」
母親は、別段動じたふうもなくそう言うと、んだら、いって参ります、と丁寧に頭を下げた。
親子は、約束どおり日暮れ前に帰ってきたが、それを玄関に出迎えて、思わず、あ、と驚きの声をもらしてしまった。母親は出かけたときのままだったが、息子の方は、髪を短く伸ばしていた頭がすっかり丸められて、雲水のように青々としていたからである。
あまりの思いがけなさに、ただ目をみはっていると、
「まんず、こういうことになりゃんして……やっぱし風がしみると見えて、くしゃみを、はや三度もしました。」
母親は、しかたなさそうに笑って息子をかえりみた。息子の方はにこりともせずにうつむいて、これまたしかたがないというふうに青い頭をゆるく左右に振っている。どうやら、どちらも納得ずくの剃髪らしく、
「なんとまあ、涼しげな頭におなりで。」
と、ようやく声を上げてから、ふと、宿泊カードに光林寺内とあったのを思い出した。
「それじゃ、こちらがお坊さんに……?」
「へえ、雲水になりますんで。明日から、ここの大本山に入門するんでやんす。」
母親は目をしばたたきながらそう言った。
それで、この親子にまつわる謎がいちどに解けた。大本山、というのは、ここからバスで半時間ほどの山中にある曹洞宗の名高い古刹で、毎年春先になると、そこへ入門を志す若い雲水たちが墨染めの衣姿で集まってくる。この少年もそのひとりで、北のはずれから母親に付き添われてはるばる修行にきたのである。
それにしても、頭を丸めた少年は、前にも増してなにか痛々しいほど可憐に見えた。さっき青々とした頭に気づいたとき、まるで雲水のような、とは思ったものの、本物の雲水になるための剃髪だとは思いも及ばなかったのは、そのせいだが、母親によると、得度さえ済ませていれば中学卒で入門が許されるという。
けれども、ここの大本山での修行は峻烈を極めると聞いている。果たしてこの幼い少年に耐えられるだろうかと、他人事ながらはらはらして、
「でも……お母さんとしてはなにかとご心配でしょうねえ。」
と言うと、
「なに、こう見えても芯の強い子ですからに、なんとかこらえてくれましょう。父親も見守ってくれてます。」
母親は珍しく力んだ口調で、息子にも、自分にも言い聞かせるようにそう言った。
――息子が湯を使っている間、帳場で母親に茶を出すと、問わず語りにこんなことを話してくれた。自分は寺の梵妻だが、おととしの暮れ近くに、夫の住職が交通事故で亡くなった。夫は、四、五年前から、遠い檀家の法事に出かけるときは自転車を使っていたが、町のセールスマンの口車に乗せられてスクーターに乗り換えたのがまずかった。凍てついた峠道で、スリップしたところを大型トラックにはねられてしまった。
跡継ぎの息子はすでに得度を済ませていたが、まだ中学二年生である。しかたなく、町にあるおなじ宗派の寺に応援を仰いでなんとか急場をしのいできたが、出費もかさむし、いつまでも住職のいない寺では困るという檀家の声も高まって、一刻も早く息子を住職に仕立てないわけにはいかなくなった。住職になるには、大本山で三年以上、ほかに本科一年間の修行を積まねばならない。ゆくゆくは高校からしかるべき大学へ進学させるつもりだったが、もはやそんな悠長なことは言っていられない。十五で修行に出すのはかわいそうだが、しかたがなかった。
自分は明日、息子が入門するのを見届けたら、すぐ帰郷する。入門後は百日面会はできないというが、里心がつくといけないから面会などせずに、郷里で寺を守りながら、息子がおよそ五年間の修行を終えて帰ってくるのを待つつもりでいる……。
「それじゃ、息子さんは今夜で娑婆とは当分のお別れですね。お夕食はうんとごちそうしましょう。なにがお好きかしら。」
そうきくと、母親は即座に、
「んだら、とんかつにしていただきゃんす。」
と言った。
「とんかつ……そんなものでよろしいんですか?」
「へえ。あの子は、寺育ちのくせに、どういうものかとんかつが大好物でやんして……。」
母親は、はにかむように笑いながらそう言った。
だから、夕食には、これまででいちばん厚いとんかつをじっくりと揚げて出した。しばらくすると、給仕の女中が降りてきて、
「お二人は、しんみり食べてますよ。いまのぞいてみたら、お母さんの皿はもう空っぽで、お子さんの方はまだ食べてます。お母さんは箸を置いて、お子さんがせっせと食べるのを黙って見てるんです。」
と言った。
それから一年近くたった翌年の二月、母親だけが一人でひょっこり訪ねてきた。面会などしないと強気でいても、やはり、いちど顔を見ずにはいられなくなったのだろうと思ったが、そうではなかった。修行中の息子が、雪作務のとき僧坊の屋根から雪といっしょに転落し、右脚を骨折して、いまは市内の病院に入院しているのだという。
「もう歩けるふうでやんすが、どういうことになっているやらと思いましてなあ。」
相変わらず地味な和装の、小鬢に白いものが目につくようになった母親は、決して面会ではなく、ただちょっと見舞いにきただけだと言った。
息子の手紙には、病院にきてはいけない、夕方六時に去年の宿で待っているようにとあったと言うから、
「じゃ、お夕食はごいっしょですね。でも、去年とは違いますから、なにをお出しすればいいのかしら。」
「さあ……修行中の身ですからになあ。したが、やっぱし……。」
「わかりました。お任せください。」
と引き下がって、女中にとんかつの用意を言いつけた。
夕方六時きっかりに、衣姿の雲水が玄関に立った。びっくりした。わずか一年足らずの間に、顔からも体つきからも可憐さがすっかり消えて、見違えるような凜とした僧になっている。去年、人前では口をつぐんだままだった彼は、思いがけなく錬れた太い声で、
「おひさしぶりです。その節はお世話になりました。」
と言った。それから、調理場から漂ってくる好物の匂いに気づいたらしく、ふと目を和ませて、こちらを見た。
「……よろしかったでしょうか。」
彼は無言で合掌の礼をすると、右脚をすこし引きずるようにしながら、母親の待つ二階へゆっくり階段を昇っていった。
『とんかつ』本文の構造と展開図


重要語句の意味
問わず語り | 峻烈 | 可憐 | 剃髪 | 納得ずく | かえりみる | 顔色をうかがう | 日和 | 穿鑿 | 道草を食う | はにかむ | 案に相違する | 語 句 |
尋ねられていないのに、自ら語り出すこと。 | とても厳しく激しいこと。 | 守ってやりたくなるような気持ちにさせる、いじらしくてかわいいさま。 | 頭髪を剃ること。 | 十分に納得したうえでの結果。 | 過ぎ去ったことを思い起こす。後ろを振り向いて見る。 | 相手の表情から、思いを推しはかる。 | 天気。空模様。 | 細部まで知ろうと、根ほり葉ほり尋ねること。 | 目的地へ行く途中で、他のことに時間を費やす。 | 恥ずかしそうな表情やしぐさをする。 | 考えていたことや予想とは違う。 | 意 味 |
凜 | 給仕 | 里心 | 悠長 | しかるべき | 急場をしのぐ | 口車に乗る | 語 句 |
態度などがきりっとしていて、りりしいさま。 | 食事の際、そばについて世話をすること。また、その人。 | 他家や他郷で暮らしている者が、実家や郷里へ帰りたいと思う心。 | 急ごうとせず、のんびりしていること。 | 当然そうである。ふさわしい。 | 事が差し迫っているときに、一時的な手段を用いてその場をなんとか切り抜ける。 | 巧みな言葉にだまされる。 | 意 味 |
定期テスト・中間試験対策問題
➀冒頭の「須貝はるよ。三十八歳。主婦。/同 直太郎。十五歳(今春中学卒業)」という表現は、どのような効果を上げているか。 |
答 読者の意表をつき、二人に注目させると同時に、語り手の見た宿泊カードをともに見ているかのように感じさせる効果。 |
②「痩せた女文字」とは、どのような文字か。 |
答 線の細い、力のない文字。 |
③「痩せた女文字」からは、宿泊カードを書いた人物のどのような特徴が読み取れるか。 |
答 控えめで、おとなしそうな特徴。気弱さ。 ④「鋭く声をかけた」からは、「母親」の「息子」に対するどのような心情がうかがえるか。 |
答 恥ずかしがる「息子」に対して、もっとしっかりしてほしいと願う心情。 |
⑤「重そうな冬外套」「厚ぼったい防寒コート」という親子の服装からは、どのようなことがわかるか。 |
答 親子がまだ寒さの残る地方からやってきたということ。 |
⑥「女主人」が初めて須貝親子に会ったときの二人の様子を表す言葉として最も適当なものを、次から選べ。 ア 愚鈍 イ 純朴 ウ 端正 エ 貧困 |
答 イ |
⑦発問 「どうしたのだろう」からは、「女主人」のどのような心情がうかがえるか。 |
答 二泊三日の贅沢な旅行ではあるが、「息子」の中学卒業記念として観光旅行にきたようには思えず、かといって、宿泊カードからは旅慣れない感じがして、他の目的で宿泊にきたとも思えない。親子の旅の目的がわからず、疑問に思う心情。 |
⑧「ぎくりとした」のはなぜか。 |
答 親子のあまりに身軽な支度ぶりに、冗談のつもりだった親子心中を本当にするのではないかと思ったから。 |
⑨「きまってはにかむような笑いを浮かべる」という描写からは、須貝親子のどのような人柄や性格がうかがえるか。 |
答 控えめでおとなしい性格で、素朴な人柄。 |
⑩「目をしばたたきながら」とは、どのような動作か。最も適当なものを、次から選べ。 ア まぶたから大量の涙が流れるままにしながら。 イ まぶたをしきりに開いたり閉じたりしながら。 ウ まぶたをしっかりと閉じたままにしながら。 エ まぶたをしっかりと開いたままにしながら。 |
答 イ |
⑪「前にも増してなにか痛々しいほど可憐に見えた」とあるが、「女主人」にとって「少年」の第一印象はどのようなものだったか。本文中から二十二字で抜き出せ。 |
答 青白い顔の、ひょろりとした、ひよわそうな少年 |
⑫「他人事ながらはらはらし」たのはなぜか。 |
答 非常に厳しい大本山での修行に、頭を丸めたことでいっそう弱々しくはかなげに見える「息子」が耐えられるかどうか心配になったから。 |
⑬「珍しく力んだ口調」からは、「母親」のどのような心情がうかがえるか。 |
答 「息子」には厳しい修行を耐え抜いてほしいと願うと同時に、自らも「息子」と離れ、一人でがんばる覚悟を決意する心情。 |
⑭「そんなものでよろしいんですか?」)からは、どのような心情がうかがえるか。 |
答 豪勢な料理を想像していたのに、とんかつという、ごくありきたりな普通の料理を即答でお願いされ、意外な返答に拍子抜けする心情。 |
⑮「夕食には、これまででいちばん厚いとんかつをじっくりと揚げて出した」という行為からは、「女主人」の須貝親子に対するどのような心情がうかがえるか。 |
答 ・「息子」に大好物を食べさせてやりたいという「母親」の気持ちに応えようとする心情。 ・修行に入る「息子」を陰ながら応援する心情。 ・修行前の最後の母子の食事を思い出に残るものにしてやりたいという心情。 |
⑯「面会などしないと強気でい」る「母親」の心情を表す言葉として適当でないものを、次から選べ。 ア いこじ イ 意地 ウ 強情 エ 感傷 |
答 エ |
⑰「決して面会ではなく、ただちょっと見舞いにきただけだ」という言葉からは、「母親」のどのような様子がうかがえるか。 |
答 見舞いのためであることを強調することによって、「息子」に会いたいという本心を隠そうとする様子。 |
⑱「無言で合掌の礼」をする「息子」からは、どのような心情がうかがえるか。 |
答 とんかつを用意してくれた、「母親」と「女主人」の思いやりや心遣いを理解し、心からの感謝を示そうとする気持ち。 |
⑲ 『とんかつ』の登場人物が使用する方言について、四人の高校生が意見を交流した。明らかに読み誤っているものを、次から選べ。思 ア 方言は主に「母親」が使っているけれど、はにかむような笑いを浮かべるなどといった描写とともに、「母親」が方言で話すことからも、「母親」の素朴で飾らない人柄が伝わってくるような気がするよ。 イ 登場人物が方言を話すことによって、その人の出身地が暗示されるよね。『とんかつ』であれば、「母親」が話す方言からも、須貝親子が「北のはずれ」から来たことが読者に伝わる仕掛けになっていると言えるね。 ウ 「母親」の「ここの大本山に入門するんでやんす」「んだら、とんかつにしていただきゃんす」などの方言は、どことなく滑稽さを感じさせないかな。「息子」を修行に出すという寂しさを、「母親」は方言で紛らしているように思える。 エ 「あほらしい」という「女主人」の言葉も方言だよね。普段は仕事柄、標準語を使っている「女主人」だけれど、「女中」の「厄介なお客」という推測を否定する際、思わず方言が出てしまったんじゃないかな。 |
答 ウ |
⑳「とんかつ」という食べ物は、「女主人」「母親」「息子」にとって、それぞれどのような意味を持っているか。 |
答 女主人 ・「母親」の愛情を形にしたものであり、「息子」への激励を込めたもの。 ・親子への精一杯のはなむけ。 母親 ・「息子」への励ましと愛情を込めたもの。 ・「息子」との最後のつながりとなるもの。 息子 ・「母親」との絆となるもの。 ・厳しい修行を乗り越える力となるもの。 ・修行中は食べることができないもので、娑婆の象徴ともいえるもの。 |
『とんかつ』解説
作者解説
1931(昭和6)年、青森県八戸市に6人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の誕生日に次姉が自殺し、それが起因となって長兄が行方不明に、長姉も自殺してしまう。早稲田大学第二政治経済学部に入学するも、頼りにしていた次兄の失踪によって中退。中学校教員となる。その後、早稲田大学第一文学部に再入学し、この頃から同人誌「非情」に作品を発表し始め、井伏鱒二の知遇を得て、以後師事することになる。
1961(昭和36)年、結婚までの経緯と出自を描いた「忍ぶ川」によって芥川賞を受賞。1984(昭和59)年から003(平成15)年にかけては芥川賞選考委員も務めた。
『とんかつ』の主題
この物語に描き出されるとんかつは、それぞれの思いやりの象徴となっています。まだ幼さの残る少年直太朗が厳しい修行に向かうことを知った「女主人」の、入門前夜にごちそうをという心配りから、「息子」の大好物であるとんかつが夕食に並ぶことになりました。さらに「お母さんの皿はもう空っぽで、お子さんの方はまだ食べています。」という「女中」の報告からは、「母親」のとんかつが「息子」の皿へ移されたことが分かります。15歳で厳しい修行に出さざるを得なくなったやるせなさの中で、「母親」のせめてもの思いが込められていると分かります。
また、ここに至るきっかけとなったのが「女中」の観察でありました。親子が「陰気で、湿っぽい」ことを察した女中の気づきが、「女主人」の注意を呼び起こしていました。「親子心中」まで疑っていることは、謎が解けた後にユーモアに変わりますが、「気遣い」の重なりが「とんかつ」につながっています。
約1年後、修行中にけがをしたという息子を見舞うために、再び宿を訪れた母親は、好物を食べさせてやりたいという思いから再び夕食にとんかつを望みます。このとき母親と女主人の会話の中にはとんかつという言葉は直接交わされません。全てを言わないまでも「母親」の思いを察した女主人の気遣いによって、夕食は準備されつつまりました。
そして2度目にとんかつが登場する背後には「母親」と「女主人」以外の人物の気遣いが重なり合っていることも重要です。注意したいのは、この宿を再び訪れることになったのが、「息子」による指示であったことです。入院中であるはずの息子は、病院に母親を来させず、宿まで出向いています。宿は旅慣れない母親が迷わずに来ることができる場所であり、旅先ながら既知の人々がいる場所でもあります、それは「母親」への気遣いと、心配をかけまいとする思いからだと推測できます。宿で会うことが無ければ、この夕食も無かったのです。「母親」を気遣う「息子」の思いもまた、この日のとんかつに重なり合っていたのです。1年前、母親から貰ったとんかつを無心で食べていた幼い「息子」とは、大きく異なる姿がここに描かれています。
この作品の主題は、お互いへの思いやりがひそかに交換されているところにあります。そして「女主人」の心情の変化、「母親」の心情、「息子」の心身の成長(変化)がそれぞれに描かれている部分に注目することができます。
書き出しの妙
須貝はるよ。三十八歳。主婦。
同 直太郎。十五歳(今春中学卒業)。
唐突に示された二人の情報は、その直後に「宿泊カードには痩せた女文字でそう書いてあった」とあることから、宿泊カードに書かれた文字であることが分かります。「痩せた女文字」という表現も視覚的な効果をもたらしています。物語は一貫して「女主人」が語り手として見聞きしたものですが、この書き出しは「女主人」の視点に読者を重ねる効果があります。冒頭部分で読者は一気に、語り手である「女主人」と一体化し、物語を経験する準備が整う所に「短編の名手」と呼ばれる作者の巧妙な表現があります。
なぞ解きを共有する仕掛け
この小説に描かれているのは「女主人」が見聞きした世界となっています。その限定された視点(女主人に焦点化した位置)から語られることによって、読者は謎を共有するとともに、それらを徐々に解消していきます。語りの構造が、なぞ解きを共有化する高い効果を果たしているのです。
例えば「物語が時系列に並んでいない」ことです。冒頭部の宿泊カードの情報は、二人の素性を想像していた「女主人」が関心を持って見ていたものです。その後、ここに至るまでに玄関で二人を迎えたこと、二人の素性について「女中」とあれこれ想像したことなどが回想的に語られています。時間の経過と語られる順番が逆になっていることで、読者はすでに得ている情報をもとに、親子を見た時の語り手が感じた疑問を解消しながら読んで行けます。
他にも、物語の中を流れる時間が冒頭部に追いついたとき、解消した謎と「なぜ青森から来たのか」という新たな謎も出てきます。「女主人」の限定された視点だからこそ、一つひとつ謎が共有されていきます。語り手が「女主人」の位置から離れないことで、物語は宿という限定された場所で展開されます。宿の外のことが書かれないので、帰ってきた親子を見て、読者も驚くことになります。そしてすべての謎が解けることにつながります。語り手の経験と共に、読者は作品世界を体験できるのです。
気遣いの交換
宿の「女主人と女中」、そしてここを訪れた「親子」という、それまで関わりのなかった人々の間に心が通い合っていくさまが、この物語の特徴です。修行に出る前夜に夕食に並んだ「とんかつ」は、厳しい世界へ行く息子を思う「母親」の気遣いと、それを汲み取った「女主人」の思いが交差しています。約1年後に再び出てくるとんかつに込められた思いも同様でしょう。しかし、1年後のこの日に込められた思いは、もう一つ重要な心配りが重なり合っています。「息子」の思いですね。
あえて辛いこと(父・夫の死)を思い出させてしまう「病院」ではなく、「宿」で待ち合わせをした息子。見知った人間(女主人や女中)がいて迷わずいける安心な場所、「宿」で待ち合わせをすることによって、2度目のとんかつへと繋がっていきます。
宿に来た息子も気遣いのできる青年へと成長していたと分かります。母親を気遣い「宿」を待ち合わせにしたり、とんかつを無心で食べていた幼い息子ではなく「女主人」に感謝を伝えたり、と気遣いのできる息子へと成長しています。「母親」や「女主人」の姿と同じく、「息子」の姿にも、深い思いやりを読み取ることができます。
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