
老子・荘子・韓非子ってどんな人たちなんですか?

古代中国の哲学者たちです。それぞれが異なるアプローチの仕方で人民に「道」を説いてたり、国についての考えを述べたりしています。
教科書にも載るような有名な文章を現代語訳と一緒に見ていきましょう。
大学入試での口頭試問や授業の予習に役立てられるようにまとめました。

老子

「大道廃れて仁義有り」
【書き下し文】
大道 廃れて 仁義有り、知恵 出でて 大偽有り。六親 和せずして 孝慈有り、国家 昏乱して 忠臣有り。
【現代語訳】
「大道が廃れて仁義が現れた」
大道がすたれて仁義が現れた。知恵が出てきて大いなるいつわりが現れた。六親の仲が悪くなった結果、孝行と慈愛が言われだした。国家が混乱した結果忠臣が出てきた。
「小国寡民」
【書き下し文】
什伯の器有るも、用ゐざらしむ。民をして死を重んじて、遠く徙らざらしむ。舟輿有りと雖も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無し。民をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましむ。
隣国 相望み、鶏犬の声 相聞こゆるも、民 老死に至るまで、相往来せず。
【現代語訳】
「国が小さくて人民が少ない。」
さまざまな道具があっても、使わせないようにする。人民たちに生命を大切にさせ、遠い他国へ移らせないようにする。舟や車などの乗り物があっても、乗ることがなく、武器があっても、並べて武威を示すことがない。人民に(昔にかえって、文字の代わりに)縄を結んで使わせ、その土地でとれる食物を美味とさせ、その土地で作られる衣服をよいものと思わせ、その土地の住まいに安住させ、その土地の風俗を楽しいものと思わせる。 隣国が見え、鶏や犬の鳴き声が聞こえるほど近くても、人民は年老いて死ぬまで、互いに行き来しない。

「天下水より柔弱なるは莫し」
【書き下し文】
天下 水より柔弱なるは莫し。而れども堅強を攻むるは、之に能く先んずる莫し。其の之を易ふる無きを以つてなり。故に柔の剛に勝ち、弱の強に勝つは、天下 知らざる莫きも、能く行ふこと莫し。
是を以つて聖人云ふ、「国の垢を受くる、是れを社稷の主と謂ふ。国の不祥を受くる、是れを天下の王と謂ふ。」と。正言は反するがごとし。
【現代語訳】
「世に水より柔弱なものはない。」
世の中に、水ほど柔軟で弱々しいものはない。しかし堅くて強いものを攻めるには、水にまさるものがない。それは、何ものも水の柔弱な性質を改変することができないからである。柔らかいものが堅いものに勝ち、弱いものが強いものに勝つことは、世の中に知らない者はないのに、だれも実行する者がいない。
だから聖人の言葉に、「国の汚辱を引き受ける者、これを国家の主という。国の災厄の処理と責任を引き受ける者、これを世界の王者という。」とあるが、本当に正しい言葉は、一見、真理に反するように聞こえるものである。
荘子

「渾沌」
【書き下し文】
南海の帝を佯と為し、北海の帝を忽と為し、中央の帝を渾沌と為す。佯と忽と、時に相与に渾沌の地に遇ふ。渾沌 之を待すること甚だ善し。
佯と忽と、渾沌の徳に報いんことを謀りて曰はく、「人 皆 七竅有りて、以つて視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試みに之を鑿たん。」と。日に一竅を鑿ち、七日にして渾沌 死す。
【現代語訳】
「渾沌」
南海の帝を「佯」といい、北海の帝を「忽」といい、中央の天子を「渾沌」といった。「佯」と「忽」とが、あるとき「渾沌」のところで出会った。そのとき「渾沌」は、たいそう手厚くもてなした。
「佯」と「忽」とは、この「渾沌」の厚意に報いようと相談して、「人間はだれでもみな(目・耳・鼻・口の)七つの穴があって、見たり、聞いたり、食べたり、呼吸したりしている。『渾沌』だけにはこれらがない。試しに、この穴をあけてやることにしよう。」と言った。それから一日に一つずつ穴をあけたところが、七日目に(穴が全部あいたら)「渾沌」は死んでしまった。
「尾を塗中に曳く」
【書き下し文】
荘子 濮水に釣る。楚王 大夫二人をして往きて先んぜしむ。曰はく、「願はくは竟内を以つて累はさん。」と。
荘子 竿を持し顧みずして曰はく、「吾 聞く、楚に神亀有り、死して已に三千歳なり。王 巾笥して之を姜堂の上に蔵すと。此の亀は、寧ろ其れ死して骨を留めて貴ばるるを為さんか、寧ろ其れ生きて尾を塗中に曳かんか。」と。二大夫曰はく、「寧ろ生きて尾を塗中に曳かん。」と。荘子曰はく、「往け。吾 将に尾を塗中に曳かんとす。」と。
【現代語訳】
「尾を泥の中で引きずっている」
荘子が濮水で釣りをしていた。楚王は二人の大夫を先行させた。そうして、「ごやっかいながら、国内の政治をとっていただきたいのですが。」と言わせた。
荘子は釣り竿を持ったまま、振り返りもせずに言った、「聞くところによると、楚には死後三千年にもなる神亀(の甲羅)があって、王はそれをふくさに包み箱に入れて、先祖の霊が祭ってある姜堂の上に納めておいでとのこと。この亀は(その身になって考えてみるに)死んで甲羅をとどめて尊ばれたかったのか、それとも生きながらえて尾を泥の中で引きずっていたかったのだろうか。」と。二人の大夫は言った、「むしろ生きながらえて尾を泥の中で引きずっているのがよい。」と。荘子は言った、「帰りなさい。私は尾を泥の中で引きずっていようと思っているのだ。」と。
韓非子

「官を侵すの害」
【書き下し文】
昔者、韓の昭侯、酔ひて寝ねたり。典冠の者 君の寒きを見るや、故に衣を君の上に加ふ。寝より覚めて説び、左右に問ひて曰はく、「誰か衣を加ふる者ぞ。」と。左右 対へて曰はく、「典冠なり。」と。君 因りて典衣と典冠とを兼ね罪せり。
其の典衣を罪せるは、以つて其の事を失ふと為せばなり。其の典冠を罪せるは、以つて其の職を越ゆと為せばなり。寒きを悪まざるに非ざるなり。以為へらく、官を侵すの害は、寒きよりも甚だしと。故に明主の臣を畜ふや、臣は官を越えて功有るを得ず、言を陳べて当たらざるを得ず。官を越ゆれば則ち死され、当たらざれば則ち罪せらる。
【現代語訳】
「自分の職分を越えて他に手を出すことによる弊害」
昔、韓の昭侯が、酒に酔って寝てしまった。典冠が王様の寒そうな様子を見て、そこで着物を王様の体にかけた。(昭侯は)目が覚めてたいへん喜び、側近の者に問うて言うには、「いったいだれが着物をかけてくれたのか。」と。側近の者が答えて言った、「典冠でございます。」と。昭侯はそこで典衣と典冠と二人とも処罰した。
昭侯が典衣を処罰したのは、自分の職を怠ったと考えたからであり、典冠を処罰したのは、自分の職以上に出しゃばったと考えたからである。(昭侯は)寒さを嫌がらないわけではない。しかし、「自分の職分を越えて他に手を出すことによる弊害は、寒さからくる弊害よりも大きい」と考えたのである。こういうわけで名君が臣下を使うやり方は、臣下は自分の職分を越えて功績を上げることはできないし、意見を述べたらそのとおりに実行されなくてはならない。もし自分の職分を越えた場合には殺されるし、言行が一致しない場合には処罰される。
「愛に非ざるなり」
【書き下し文】
慈母の弱子に於けるや、愛は前を為すべからず。然れども弱子に僻行有れば、之をして師に随はしめ、悪病有れば、之をして医に事へしむ。師に随はざれば則ち刑に陥り、医に事へざれば則ち死に疑し。慈母 愛すと雖も、刑より振ひ死より救ふに益無し。則ち子を存する者は、愛に非ざるなり。
子母の性は愛なり。臣主の権は筴なり。母 愛を以つて家を存すること能はず、君 安くんぞ能く愛を以つて国を持せんや。
【現代語訳】
「愛ではないのである。」
母の子に対する愛は、それ以上のものがない。しかし、子に非行があれば、その子を教師につかせ、病気になれば医者にかからせる。教師につかせなければ刑罰にかかることになり、医者にかからなければ死んだと同じようなものだ。母はどれほど深く愛しても、刑罰から子を救い死から子を救うのに、何も役立つことはない。つまり子を生き続けさせるものは、愛ではないのである。
母親の本性は愛である。君主の権力は計算である。母ですら愛によって家族を存続させることができないのだから、君主はどうして愛などによって国家を維持することができるだろうか、いや、できない。
最後に
いかがでしたでしょうか?古代中国の哲学者たちの考え方に触れてみました。
もちろん難しい内容もありましたね。政治や国の在り方については、漢文でもよく扱われるテーマです。
総合型選抜・学校推薦型選抜の口頭試問にも教科書レベルが出題されます。今回の3人の哲学者は必須の知識となりますので、ぜひ参考にしてみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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