芥川龍之介『羅生門』本文と解説ー研究資料や補助資料付きー(芥川龍之介全集と今昔物語集)

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『羅生門』本文

画像Wikipediaより

羅生門                                                                         芥川龍之介

 ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗りの剝げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

 なぜかと言うと、この二、三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とかいう災いが続いて起こった。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打ち砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、道端に積み重ねて、薪の料に売っていたということである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよいことにして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くという習慣さえできた。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がって、この門の近所へは足踏みをしないことになってしまったのである。

 その代わりまた鴉がどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾の周りを鳴きながら、飛び回っている。殊に門の上の空が、夕焼けで赤くなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、もちろん、門の上にある死人の肉を、ついばみに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草の生えた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頰にできた、大きなにきびを気にしながら、ぼんやり、雨の降るのを眺めていた。

 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようという当てはない。ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずである。ところがその主人からは、四、五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた。」と言うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、途方に暮れていた。」と言う方が、適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した。申の刻下がりから降り出した雨は、いまだに上がる気色がない。そこで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようとして――いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。

 雨は、羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した甍の先に、重たく薄暗い雲を支えている。

 どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選んでいれば、築土の下か、道端の土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」の片を付けるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない。」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

 下人は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇とともに遠慮なく、吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。

 下人は、首を縮めながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の襖の肩を高くして、門の周りを見回した。雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰に下げた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、わら草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へ踏みかけた。

 

 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頰をぬらしている。短い髭の中に、赤くうみを持ったにきびのある頰である。下人は、初めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高をくくっていた。それが、梯子を二、三段上ってみると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと、動かしているらしい。これは、その濁った、黄色い光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。

 下人は、守宮のように足音を盗んで、やっと急な梯子を、一番上の段まではうようにして上りつめた。そうして体をできるだけ、平らにしながら、首をできるだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内をのぞいてみた。

 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるということである。もちろん、中には女も男も混じっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上に転がっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光を受けて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久におしのごとく黙っていた。

 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を覆った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。

 下人の目は、その時、初めて、その死骸の中にうずくまっている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、やせた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木切れを持って、その死骸の一つの顔をのぞきこむように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、たぶん女の死骸であろう。

 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると、老婆は、松の木切れを、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、ちょうど、猿の親が猿の子のしらみを取るように、その長い髪の毛を一本ずつ抜き始めた。髪は手に従って抜けるらしい。

 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が、少しずつ動いてきた。――いや、この老婆に対すると言っては、語弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増してきたのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を改めて持ち出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木切れのように、勢いよく燃え上がり出していたのである。

 下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。

 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上がった。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆が驚いたのは言うまでもない。

 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上がった。

 「おのれ、どこへ行く。」

 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手をふさいで、こう罵った。老婆は、それでも下人を突きのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、初めから、わかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうど、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。

 「何をしていた。言え。言わぬと、これだぞよ。」

 下人は、老婆を突き放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその目の前へ突きつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、目を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、おしのように執拗く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているということを意識した。そうしてこの意識は、今まで険しく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を、見下ろしながら、少し声を和らげてこう言った。

 「おれは検非違使の庁の役人などではない。今しがたこの門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようというようなことはない。ただ、今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それをおれに話しさえすればいいのだ。」

 すると、老婆は、見開いていた目を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い目で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でもかんでいるように動かした。細い喉で、とがった喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の鳴くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わってきた。

 「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしょうと思うたのじゃ。」

 下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑と一緒に、心の中へ入ってきた。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんなことを言った。

 「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい人間ばかりだぞよ。現に、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干し魚だと言うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいたことであろ。それもよ、この女の売る干し魚は、味がよいと言うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、飢え死にをするのじゃて、仕方がなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢え死にをするじゃて、仕方がなくすることじゃわいの。じゃて、その仕方がないことを、よく知っていたこの女は、大方わしのすることも大目に見てくれるであろ。」

 

 老婆は、大体こんな意味のことを言った。

 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤く頰にうみを持った大きなにきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから言えば、飢え死になどということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

 「きっと、そうか。」

 老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟上をつかみながら、かみつくようにこう言った。

 「では、おれが引剝ぎをしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」

 下人は、すばやく、老婆の着物を剝ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、わずかに五歩を数えるばかりである。下人は、剝ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。

 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それから間もなくのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、はって行った。そうして、そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下をのぞきこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

 下人の行方は、誰も知らない。

 

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重要語句と意味

 

 重要な語句とその意味をまとめました。読解する際には語彙力がとても大事になります。知らない言葉だらけですと本文が全く理解できなくなってしまいます

しっかりと意味を覚えておくことが、文章読解の基礎になります。

低徊いとま気色途方に暮れる余波衰微暇を出す刻限殊に日の目顧みるもとより語 句
決心できない様子で同じところを行ったり来たりすること。ひま。何かをするための時間。物事の様子。何かが起ころうとするきざし。てだてがなくなり、どうしてよいかわからなくなる。ある物事が他に影響を与えること。また、その影響。勢いがなくなり、衰えること。使用人や奉公人を解雇する。時刻。とき。時間。特に。とりわけ。日光。日差し。過ぎ去ったことを思い起こす。後ろを振り向いて見る。教科書本文では、「気にかける・心配する」の意。言うまでもなく。もちろん。意 味
存外成就合理(的)未練語弊憎悪暫時無造作高をくくる息を殺す大儀片を付ける逢着局所語 句
思っていたのと違うこと。思いのほか。案外。目的を遂げること。また、願いがかなうこと。筋が通っていること。論理的に正しいこと。「合理的」は、論理にかなっている様子。心残りがあって、あきらめきれないこと。言葉の使い方が適切でないため誤解が生じる言い方。憎み嫌うこと。少しの間。しばらくの間。手間をかけないこと。深く気を遣わないこと。また、そのさま。たいしたことはないだろうと予想する。甘く見る。息の音も立てずに、静かにじっとしている。面倒なこと。億劫なこと。また、その様子。物事をきちんと解決する。決着をつける。出会うこと。行き当たること。全体の中の一部分。意 味
不意念を押す嘲る冷然大目に見る侮蔑語 句
予想外のこと。思いもかけないこと。繰り返し注意する。何度も確かめる。人をさげすんで悪く言ったり笑ったりする。冷ややかな態度をとること。失敗や不正を厳しくとがめないこと。相手を見下しさげすむこと。意 味

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