平家物語「木曽の最後」本文と分かりやすい現代語訳-予想問題付で授業の予習や試験対策-

スポンサーリンク
古典ノート
スポンサーリンク

「木曾の最後」本文

場面説明

 以仁王の反乱以降、栄華をきわめていた平家一門を打倒する動きが起こるなか、源義仲(=木曽殿)は、木曽(今の長野県南西部)に挙兵した。北陸道で平家に連戦連勝し、後白河法皇を奉じて入京した義仲であったが、京の軍政統治に失敗した。その結果、法皇は関東で勢力を伸ばす源頼朝に義仲討伐の命を下す。京から敗走した義仲は、近江で戦っていた今井兼平らと合流し、打出の浜において三百余騎で敵将一条次郎の軍六千騎に最後の戦いを挑む。しかし、多勢に無勢、とうとう義仲と兼平の二騎になってしまった。

本文

 今井四郎・木曽殿、主従二騎になつてのたまひけるは、「日ごろはなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。なにによつてか一両の御着背長を重うはおぼしめし候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ。」とて、打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばかり出できたり。

「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候はん。」と申しければ、木曽殿のたまひけるは、「義仲都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れくるは、汝と一所で死なんと思ふためなり。ところどころで討たれんよりも、ひとところでこそ討ち死にをもせめ。」とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、

今井四郎馬より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、「弓矢とりは、年ごろ、日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候ふなり。御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。敵に押しへだてられ、いふかひなき人の郎等に組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる』なんど申さんことこそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ。」と申しければ、

木曽、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。

 

 今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙ふんばり立ちあがり、大音声あげて名のりけるは、「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。さるものありとは鎌倉殿までもしろしめされたるらんぞ。兼平討つて見参にいれよ。」とて射残したる八筋の矢を、差しつめ引きつめさんざんに射る。死生は知らず、やにはに敵八騎射落とす。その後打物抜いて、あれに馳せ合ひ、これに馳せ合ひ切つてまはるに、面を合はするものぞなき。分どりあまたしたりけり。ただ、「射とれや。」とて、中に取り込め、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、空き間を射ねば手も負はず。

 木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張つたりけり、深田ありとも知らずして、馬をざつとうち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎ給へる内甲を、三浦石田次郎為久、追つかかつて、よつ引いてひやうふつと射る。痛手なれば、真甲を馬の頭に当てて、うつぶし給へるところに、石田が郎等二人落ち合うて、つひに木曽殿の首をば取つてんげり。

太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声をあげて、「この日ごろ日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、三浦石田次郎為久が討ちたてまつたるぞや。」と名のりければ、今井四郎いくさしけるが、これを聞き、「今はたれを庇はんとてか、いくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。

 さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。(巻第九)

「木曽の最後」現代語訳

赤字・・・木曽殿(源義仲)
青字・・・今井四郎
緑字・・・石田次郎為久

 今井四郎・木曽殿が、主従二騎になって(木曽殿が)おっしゃったことには、「日ごろは何とも感じない鎧が、今日は重くなったぞ。今井四郎が申し上げたことには、「お身体もまだ疲れていらっしゃいません。お馬も弱ってはおりません。どうして一両の御着背長を重くお感じになるのでしょうか。それは味方に軍勢がおりませんので、気後れからそのようにお思いになるのです。兼平一人(だけ)のお仕えであっても、他の武者千騎とお思いください。矢が七本八本ございますので、しばらく防ぎ矢をいたしましょう。あそこに見えますのは、粟津の松原と申します。あの松原の中で自害なさいませ。」と言って、馬に鞭を打って行くうちに、また新手の武者が五十騎ほど出てきた。

今井が)「殿はあの松原へお入りください。兼平はこの敵を防ぎましょう。」と申し上げたところ、木曽殿がおっしゃったことには、「義仲は都でどうにでもなるはずだった(討ち死にするはずだった)が、ここまで逃げてきたのは、おまえと同じ場所で死のうと思うためである。別々の場所で討たれるよりも、同じ場所で討ち死にをしよう。」と言って、馬の鼻を並べて駆け出そうとなさるので、

今井四郎は馬から飛び降り、主君の馬の口に取りついて申し上げたことには、「武士は、長年、常日頃どのような名声がございましても、最後のとき(死ぬとき)不覚を取ってしまうと、末代までの不名誉でございます。お体は疲れていらっしゃいます。続く軍勢はございません。敵に(二人の間を)無理に隔てられ、取るに足りない者の家来に組み落とされなさって、討たれてしまわれたならば、『あれほど日本(中)で評判でいらっしゃった木曽殿を、だれそれの家来が討ち申した』などと申すようなことこそ残念でございます。今はただあの松原へお入りください。」と申し上げたので、

木曽殿は、「そういうことならば(入ろう)。」と言って、粟津の松原へ馬を走らせなさる。

 今井四郎はただ一騎、五十騎ほどの(敵の)中に駆け入り、鐙をふんばって立ち上がり、大声をあげて名のったことには、「ふだんはきっと噂でも聞いているであろう、今はその目でご覧あれ。(私は)木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、年は三十三歳になり申す。そのような者がいるとは鎌倉殿(頼朝)までもご存じでいらっしゃるだろうよ。兼平を討ち取って(首を鎌倉殿に)ご覧に入れよ。」と言って射残していた八本の矢を、弓に次々につがえては引き、激しく射る。死んだか生きているかはわからないが、たちまち敵を八騎射落とす。その後刀を抜いて、あちらに馬を走らせて戦い、こちらに馬を走らせて戦い斬って回るが、まともに立ち向かう者はいない。敵を討ち取ることを数多くしたのだった。(敵は)ただ、「射殺せ。」と言って、中に取り囲んで、雨が降るように(矢を)射たが、鎧がいいので(矢が)鎧の裏側まで貫通せず、鎧のすき間を射ないので傷も負わない。

 木曽殿はただ一騎で、粟津の松原へ馬を走らせなさると、正月二十一日の、夕暮れ時のことである上に、薄氷が張っていた(ので)、深田があるともわからないで、馬をざんぶと乗り入れたので、(深く田に沈んで)馬の頭も見えなくなった。あおってもあおっても、(鞭で)打っても打っても動かない。今井の行方が気がかりで、振り返って仰ぎ見なさった甲の内側を、三浦の石田次郎為久が、追いついて、(弓を)よく引き絞ってひょうふっと射る。(矢が命中し)深い傷なので、甲の前面部を馬の頭に当てて、うつ伏しなさったところに、石田の家来二人が来合わせて、とうとう木曽殿の首を取ってしまった。

(首を)太刀の先に貫いて、高く差し上げ、大声をあげて、「この常日頃日本国で評判でいらっしゃった木曽殿を、三浦の石田次郎為久がお討ち申したぞ。」と名のったので、今井四郎は戦っていたが、これを聞いて、「今となっては、誰をかばおうとして、いくさをしようか、いや、するつもりはない。これをご覧なさい、東国の殿たち、日本一の剛勇の者が自害する手本だ。」と言って、太刀の先を口に含み、馬から逆さまに飛び落ちて、(太刀に)貫かれて死んでしまった。

『平家物語』木曽義仲の最後 後半 現代語訳|入るクールサポートより

 そういうわけで粟津のいくさは終わったのである。

 


「木曾の最後」品詞分解

cd8169b61c5f0c49b8c5e25e1bd68fd6

「木曽の最後」予想問題

さとう
さとう

ここからは平家物語「木曽の最後」に関する問題例を載せていきます。
中間・期末テストなどの試験対策や授業の予習に役立てられると思います。
また、大学入試(推薦型・総合型)の口頭試問などの対策にもぜひ活用ください!

問 義仲・兼平の運命はどうなると予想するか。思

答 (例)二人とも死ぬ。

問 「日ごろはなにともおぼえぬ鎧」(二二三・1)を現代語訳せよ。思

答 日ごろは何とも感じない鎧。

問 「日ごろはなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」(二二三・1)と発言する義仲の心境を説明せよ。思

答 万策尽き果てて勝敗が決し、気持ちの張りがなくなり、疲れが意識され気弱になっている状態。

問 「御身もいまだ疲れさせ給はず。……余の武者千騎とおぼしめせ」(二二三・3)に込められた兼平の思いを考えよ。思

答 気弱になっている義仲が再び気力を取り戻し、自害をする決断をしてほしいと思っている。

問 「おぼしめす」(二二三・4)の意味を答えよ。知

答 お感じになる。お思いになる。

問 「御勢が候はねば」(二二三・5)の「ね」と文法的に同じものを、次から選べ。知

ア 目覚めぬれば幾夜も寝ねず、

イ はや馬ゐて参りね。待ち給ふらむ。

ウ 平家の次男に超えらるるこそやすからね。

エ あな暗のわざや。人ありといひつるを、はや往ね。

答 ウ

問 「さはおぼしめし候へ」(二二三・5)の「さ」の指す内容を答えよ。思

答 鎧を重いと感じること。

問 「いかにもなるべかりつる」(二二三・10)とは、具体的にどのようになることか。思

答 討ち死にしてしまうこと。(自害すること。)

問 「いかにもなるべかりつる」(二二三・10)とは具体的にはどういうことか。最も適当なものを、次から選べ。思

ア 相手の軍勢を打ち破ること。

イ 敵の目をかいくぐって逃げ延びること。

ウ 捕虜となって辱めを受けること。

エ 討ち死にしたり自害したりすること。

答 エ

問 ①「討たれん」(二二三・12)、②「駆けん」(二二三・13)の「ん」の文法的意味をそれぞれ答えよ。知

答 ①婉曲 ②意志

問 「主の馬の口に取りついて」(二二三・14)という兼平の行動の説明として最も適当なものを、次から選べ。思

ア 木曽殿が戦場から逃げ出そうとしたので、立派に討ち死にするよう説得を試みている。

イ 木曽殿が無様な最後を遂げないよう、自分と同行することを阻止しようとしている。

ウ 木曽殿が一人で敵に立ち向かおうとしたので、置いていかないでほしいと哀願している。

エ 木曽殿が兼平の命だけは救おうとしたことに対し、感謝の意を表そうとしている。

答 イ

問 「不覚しつれば」(二二四・1)とは、具体的にどのようになることか。思

答 名もなき身分の低いものに命を奪われること。

問 「ながき疵」(二二四・2)とは、どのようなことをたとえた表現か。思

答 名もない敵に討ち取られ、無様な死を遂げた武将として、後の世に長くその不名誉を言い伝えられていくこと。

問 「ながき疵」(二二四・2)の具体的な内容として最も適当なものを、次から選べ。思

ア 敵に命乞いをした情けない武将というレッテルを貼られ、子孫が恥ずかしい思いをすること。

イ 家臣と最後まで離れられなかった意気地なしの武将だという悪口が全国に広まること。

ウ 一本の矢では死なず、滅多斬りにされて死んだ武将だといううわさが伝わっていくこと。

エ 取るに足りない敵に討たれて無様に死んだ武将だと、後世まで語り継がれていくこと。

答 エ

問 「御身は疲れさせ給ひて候ふ」(二二四・2)と反対のことを述べている箇所を抜き出せ。思

答 御身もいまだ疲れさせ給はず。

問 誰が誰に「組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給」(二二四・3)うのか。思

答 「義仲」が「取るに足らない者の家来」に。

問 「討たれさせ給ひなば」(二二四・4)を現代語訳せよ。思

答 (万が一にも)討たれてしまわれたならば。

問 「さらば」(二二四・7)の意味を答えよ。知

答 そういうことならば。

問 「鎌倉殿」(二二四・12)とは源氏の総大将で、後に鎌倉幕府を開いた人物である。その名前を漢字で答えよ。知

答 源頼朝

問 「射残したる…手も負はず。」(二二四・13)からどのようなことが読みとれるか。思

答 ①弓の腕前のすばらしさ。②剣術の腕前のすばらしさ。③鎧の頑丈さ(よい鎧を着用していること)。④その他(動きの速さ、敵の弓術の未熟さ、など)。

問 「面を合はするものぞなき」(二二五・2)という状況になったのはなぜか。説明せよ。思

答 今井四郎があまりに強いので、直接立ち向かっては勝ち目がないと思ったから。

問 「手も負はず」(二二五・4)の「手」の意味を答えよ。知

答 傷。

問 「木曽殿はただ一騎…」(二二五・5)の段落から擬音語を二つ抜き出せ。知

答 ざつと・ひやうふつと

問 「今井が行方のおぼつかなさに」(二二六・2)の解釈として最も適当なものを、次から選べ。思

ア 木曽殿は今井四郎の行方が気がかりで、

イ 木曽殿は今井四郎の行方がわからなくて、

ウ 今井四郎は木曽殿の行方が気がかりで、

エ 今井四郎は木曽殿の行方がわからなくて、

答 ア

問 「つひに木曽殿の首をば取つてんげり」(二二六・7)とあるが、それまでの経緯の説明として最も適当なものを、次から選べ。思

ア 思いのほか氷が薄かったため沼に馬が沈んでしまった木曽殿は、おぼれそうになるのを何とか逃れた。しかし息継ぎをしようと顔を上げたところを射られ、重傷を負ってしまった。

イ 木曽殿は敵からの激しい襲撃にあったが、丈夫な鎧を身につけていたために傷を負うことはなかった。しかし唯一すきまのあった頭部を狙われて、重傷を負ってしまった。

ウ 木曽殿は馬が田に足を取られて身動きがとれない中、別れた今井四郎のことが気になって背後を振り返った。その瞬間、無防備な顔を弓で射られて重傷を負ってしまった。

エ 田んぼからの脱出であまりに疲れ切っていた木曽殿は、少し休憩をしようとかぶとを脱いで馬にかぶせていた。そこを敵に狙われ、頭部を矢で射られて重傷を負ってしまった。

答 ウ

 

問 「この日ごろ日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿」(二二六・10)の「聞こえさせ給ひつる」を現代語訳せよ。思

答 評判でいらっしゃった。

問 武士の生き様について最も端的に述べられた一文を探し、最初の五字を抜き出せ。思

答 弓矢とりは

問 木曽殿と今井四郎は単なる主従関係ではない。その関係を表す語を、本文中から一語で抜き出せ。思

答 (御)乳母子

▼思考力問題▲

ここからは、木曽の最後だけではなく、異なる文章も読んでもらいます。その上で考える問いにチャレンジしてみてください。

問 以下の文章は、『平家物語』「猫間」の一節で、源義仲が平家軍を破った後に入京し、都の貴族と交流する場面である。「猫間」と「木曽の最期」では義仲の描き方にどのような違いがあるか。最も適当なものを、後から選べ。思

 ある時、猫間の中納言(みつ)(たか)(きやう)といふ人、木曽にのたまひあはすべきことあつておはしたりけり。郎等ども「猫間殿の見参に入り、申すべきことありとて入らせ給ひて候ふ。」と申しければ、木曽大きに笑つて、「猫は人に見参するか。」「これは猫間の中納言殿と申す公卿でわたらせ給ふ。御宿所の名とおぼえ候ふ。」と申しければ、木曽「さらば。」とて対面す。なほも猫間殿とはえ言はで、「猫殿のまれまれわいたるに、物よそへ。」とぞのたまひける。中納言これを聞いて、「ただ今あるべうもなし。」とのたまへば、「いかが、けどきにわいたるに、さてはあるべき。」何もあたらしき物を()(えん)と言ふと心得て、「ここに無塩の(ひら)(たけ)あり。とうとう。」と急がす。(ねの)(ゐの)()()()(はい)(ぜん)す。田舎合子のきはめて大きにくぼかりけるに、飯うづたかくよそひ、御菜三種して、平茸の汁でまゐらせたり。木曽が前にも同じ体にて据ゑたりけり。木曽箸とつて食す。猫間殿は、合子のいぶせさに召さざりければ、「それは義仲が精進合子ぞ。」中納言、召さでもさすがあしかるべければ、箸とつて召すよししけり。木曽これを見て、「猫殿は(せう)(じき)におはしけるや。きこゆる猫おろしし給ひたり。かい給へ。」とぞせめたりける。中納言かやうのことに興さめて、のたまひあはすべきことも一言も出ださず、やがて急ぎ帰られけり。

【語注】

*わいたる…いらっしゃった。
*ただ今あるべうもなし…今すぐ食事をするなんてとんでもない。
*けどき…食事時。
*田舎合子…田舎ふうの蓋つきのお椀。
*いぶせさ…汚さ。
*精進合子…法事のときに用いるとっておきのお椀。

*猫おろし…猫が食い残すこと。
*かい給へ…かき込みなさい。

ア 「猫間」では人をもてなすことを好む豪快な人物として描かれ、「木曽の最期」では武将としての立派な死を遂げられなかった軽蔑すべき人物として描かれている。

イ 「猫間」では田舎者丸出しの粗野で無粋な人物として描かれ、「木曽の最期」では名高い武将である一方で人情にも厚い人物として描かれている。

ウ 「猫間」では人を人とも思わない冷酷で厚かましい人物として描かれ、「木曽の最期」では自身の家来を大切にする温厚篤実な人物として描かれている。

エ 「猫間」では都の貴族を圧倒するほど威厳あふれる人物として描かれ、「木曽の最期」では時に気弱な一面を見せる繊細な人物として描かれている。

オ 「猫間」では世間知らずだがどこか憎めない魅力のある人物として描かれ、「木曽の最期」では百戦錬磨で常に冷静沈着な人物として描かれている。

答 イ

古文を読むために

1 文章のリズムを感じ取りながら音読してみよう。思

答 省略。

2 本文に名前が出てくる人物を整理し、源義仲方と源頼朝方に分けてみよう。思

源義仲方……今井四郎兼平。
源頼朝方……三浦石田次郎為久・石田が郎等二人。

言語活動

1 義仲と兼平はどのような人物か。本文から根拠もあげて説明してみよう。知思主

答(例)

○義仲

・人情に厚い人物

(根拠①)兼平には本心から弱音を吐いたり、武将として理想的に死ぬことよりも兼平とともに死ぬことを望んだりする。

(根拠②)兼平の一度目の「武士の理」を軸にした説得には動かされず、二度目の「義仲をありのままに受け止めた」説得によって自害を決意する。

(根拠③)最後の場面で、兼平の行方が気がかりで振り向いてしまう。

○兼平

・武勇に優れた人物

(根拠①)一人で義仲の防き矢をしようとする。

(根拠②)射残った八本の矢を、すべて命中させる。

(根拠③)敵将の中にまともに立ち向かえる人物がいないほど剣術に優れ、相手の首をたくさん取る。

(根拠④)太刀の先を口に含み、馬から逆さまに飛び降り、身体に太刀を貫通させて最期を遂げる。

・主君への忠誠、武将の体面を重んじる人物

(根拠①)主君の名誉を第一に考え、不名誉な最期を遂げないように説得している。

(根拠②)主君の死がわかるやいなや、武将として自分にも主君にも汚名を残さないような勇猛果敢な理想的な死に方を選択している。

・冷静沈着な人物

(根拠)差し迫った状況でも、主君の身体的精神的状態を正確に把握し、義仲に対してその場その場で適切な自害の説得をしている。

・武将としてまた家臣として理想的な人物

(根拠)これまで述べた三点を総合し、また義仲との人物対比から。

 

ことばと表現

1 本文の音便の種類と元の形を確認してみよう。知

⑴ 今日は重う なつたるぞや。

答 ウ音便「重く」・促音便「なり」

⑵ 打つて行くほどに、

答 促音便「打ち」

⑶ 鐙ふんばり立ちあがり、

答 撥音便「ふみ」

⑷ 薄氷は張つたりけり、

答 促音便「張り」

 

まとめ

いかがでしたか?平家物語は史実を元に描かれている歴史物語です。実際の読んでおくだけでも、歴史の勉強になります。

今回は源義仲が主人公となり、その家臣の兼平と共に最後(死)の場面が描かれていました。ある種、兼平が中心にもなっていましたが、どちらとも悪くは書かれていませんね。

当時の主人と家来の様子が読み取れると思います。

この記事が皆様のお役に立てれば幸いです。最後まで御読みいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました