『源氏物語』須磨の秋【本文と分かりやすい現代語訳・品詞分解】解釈付き

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古文の本文と全訳・解釈

作り物語と歌物語が統合された古典文学の最高傑作が『源氏物語』です。

※作り物語・・・空想的・伝奇的な虚構の物語。代表作:『竹取物語』(源氏物語が「物語ができた初めの祖」と評価しています。)

さとう
さとう

『源氏物語』は受験に頻出の作品です。毎年、どこかの大学入試で出題されています。

さらに、『源氏物語』は、古文の学習を総復習することができます。基本的な【単語】【文法】はもちろん、【古典常識や和歌】まで一通りのおさらいができますので、この記事をぜひ役立ててください。

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『源氏物語』 須磨の秋 紫式部

須磨に退去した源氏が「都を恋しんで忍び泣いている」部分です。

さらに、「須磨での光源氏の日常とそれに付き添う家来の源氏を思う気持ち」が描かれています。

※和歌の部分には、黄色で枠を囲いました。

「須磨の秋」原文

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、よるよるは、げにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

 御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

  恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。

 「げにいかに思ふらむ、わが身一つにより、親はらから、かた時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひ合へる。」とおぼすに、いみじくて、「いとかく思ひ沈むさまを、心細しと思ふらむ。」とおぼせば、昼は何くれとたはぶれごとうちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ手習ひをし給ひ、めづらしきさまなる唐の綾などにさまざまの絵どもを書きすさび給へる、壯風のおもてどもなど、いとめでたく、見どころあり。人々の語り聞こえし海山のありさまを、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、二なく書き集め給へり。「このころの上手にすめる千枝、常則などを召して、作り絵つかうまつらせばや。」と、心もとながり合へり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う慣れつかうまつるをうれしきことにて、四、五人ばかりぞつと候ひける。

 前栽の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出で給ひて、たたずみ給ふ御さまの、ゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。白き綾のなよよかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、「釈哥牟尼仏弟子。」と名のりて、ゆるるかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。

 沖より舟どもの歌ひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、雁のつらねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙のこぼるるをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠に映え給へるは、ふるさとの女恋しき人々の心、みな慰みにけり。

  初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき

とのたまへば、良清、

  かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども

民部大輔、

  心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな

前右近将監、

  「常世出でて旅の空なるかりがねもつらにおくれぬほどぞ慰む

友惑はしては、いかに侍らまし。」と言ふ。親の常陸になりて下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、誇りかにもてなして、つれなきさまにしありく。

 月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しく、ところどころながめ給ふらむかしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。「二千里外故人心。」と誦じ給へる、例の涙もとどめられず。入道の宮の、「霧や隔つる。」とのたまはせしほど、言はむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出で給ふに、よよと泣かれ給ふ。「夜更け侍りぬ。」と聞こゆれど、なほ入り給はず。

  見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ月の都ははるかなれども

その夜、上のいとなつかしう昔物語などし給ひし御さまの、院に似奉り給へりしも、恋しく思ひ出で聞こえ給ひて、「恩賜の御衣は今ここにあり。」と誦じつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身放たず、傍らに置き給へり。

  憂しとのみひとへにものは思ほえで左右にもぬるる袖かな

さとう
さとう

和歌を中心に物語が進んでいきます。

和歌の解釈・理解をしっかりとすることで、内容の理解につながります。

現代語訳を見てみましょう。

 

「須磨の秋」 現代語訳

   須磨の秋

 須磨では、(世の常より)いっそうものを思わせる秋風が吹いて、海は少し遠いけれど、行平の中納言が、「関吹き越ゆる」とよんだという海辺の波が、夜になると、本当にすぐ近くに打ち寄せるように聞こえて、このうえなくしみじみと心にしみとおるのは、このような所の秋なのであった。

 (源氏の)御前には全く人少なで、みな寝静まっているのに、(源氏は)一人目を覚まして、枕から頭をもたげて四方の激しい風を聞いていらっしゃると、波がすぐそこに寄せてくる気がして、涙が落ちるとも気づかないうちに、枕が浮くほどになってしまった。琴を少しかき鳴らされる(その音色が)、我ながらひどくものさびしく聞こえるので、途中で弾くのをおやめになって、

恋ひわびて・・・都恋しさに堪えかねて私が泣く声に似ている海辺の波 の音は、私の恋しく思う都のほうから風が吹くからであろうか(私の心が波に通じて、私の泣くような音を立てているのだろうか)。

と歌われると、人々は目を覚まして、すばらしいと思うにつけても、(都恋しさが)こらえきれずに、なんとはなしに起き上がっては、次々に鼻をそっとかんでいる。

 「本当にどう思っているのだろう、私一人のために、親兄弟、片時も離れにくく、それぞれに応じて大事に思っているような家を捨てて、このようにともにさまよっていることよ。」とお思いになると、たまらなく悲しくて、「全くこうして私が沈んでいるさまを(見ると)、心細いと思っているだろう。」と思われるので、昼はあれこれと冗談をおっしゃって気を紛らわし、退屈にまかせて、色とりどりの紙を継いでは歌をお書きになり、珍しい唐の綾織物などにさまざまな絵などを興にまかせて描いていらっしゃる、壯風の表の絵などは、実にすばらしく、見事である。

人々がお話し申し上げた海山の様子を、(以前は)はるか遠いものと想像していらっしゃったが、(今)まのあたりになさっては、なるほど思い及ばない磯の風景、(それを)またとなく上手に描き集めなさる。「当節の名人だと(世間で)いっているらしい千枝、常則などを召して、(源氏の君の墨描きの絵に)彩色させ申し上げたいものだ。」と、口々に残念がっている。

(源氏の)親しみやすく立派なご様子に、世の憂いも忘れて、おそば近く仕えるのをうれしいこととして、四、五人ばかりがいつもお仕えしているのであった。

 前栽の花も色とりどりに咲き乱れ、風情ある夕暮れに、海の見渡される廊にお出になって、たたずまれる様子が、不吉なほど美しいことは、(須磨という)場所が場所だけにいっそうこの世のものともお見えにならない。白い綾の柔らかな下着に、紫苑色の指貫などをお召しになって、濃い色の御平服に、帯は無造作にくつろいでいらっしゃるお姿で、「釈哥牟尼仏弟子。」と唱えて、ゆったりと経文を読んでいらっしゃる声は、これもまた世にたぐいなくすばらしく聞こえる。

 沖のほうを多くの舟が大声で歌いながら漕いで行くのなども聞こえる。(その舟影が)かすかで、ただ小さな鳥が浮かんでいるように遠目に見えるのも、心細い感じがするうえに、雁が列をなして鳴く声が、楫の音とよく似ているのを、もの思いにふけって眺めなさって、涙がこぼれるのをお払いになるお手つき、(それが)黒檀の御数珠に映えていらっしゃるその美しさは、都に残してきた女を恋しく思う人々の心も、みな慰められるのであった。

初雁は・・・初雁は恋しく思う都の人の仲間なのか。旅の空を飛ぶ声の 悲しいこと。

とおっしゃると、良清が、

かきつらね・・・次から次へと昔のことが浮かんできます。雁はそのこ ろの友ではないのですが。

民部大輔は、

心から・・・自分の意志によって常世の国を捨てて鳴く雁を、雲の彼方のよそごと と聞いていたことですよ。

前右近将監は、

「常世出でて・・・常世の国を離れて旅の空にある雁も仲間にはぐれないうちは心も慰められることです。

友にはぐれたら、どんな(に心細いこと)でしょう。」と言う。(この人は)親が常陸介になって(任国に)下ったのにも同行しないで、(源氏のお供をして)参ったのであった。心の中では思い悩んでいるように思われるが、表面は意気盛んに振る舞って、平気な様子で日を送っている。

 月がたいそう華やかに昇ったので、今夜は十五夜だったのだなあとお思い出しになって、(清涼殿の)殿上の間での管弦の御遊びが恋しく、都のあの方この方ももの思いにふけってこの月を眺めていらっしゃるであろうよと思いやりなさるにつけても、月のおもてばかりを自然と見つめてしまわれる。

「二千里の外故人の心。」と口ずさまれると、(聞く人々は)いつものように涙をとめることもできない。入道の宮〔藤壺の宮〕が、「霧や隔つる。」とおっしゃったころが、言いようもなく恋しく、あのときこのときのことを思いだしなさると、思わずおいおいとお泣きになる。「夜が更けてしまいました。」と(家来が源氏に)申し上げるが、やはり(奧に)お入りにならない。

見るほどぞ・・・見ている間はしばらく心が慰められる。再びめぐりあ う京の都は、あの月の都のようにはるかであるが。

 その夜、朱雀帝がたいそう親しみ深く昔話などなさった御様子が、桐壺院に似申し上げていらっしゃったことも、恋しく思い出し申し上げなさって、「恩賜の御衣は今ここにあり。」と口ずさみ口ずさみ(奧に)お入りになった。(朱雀院から賜った)御衣はその詩句のとおり身から放さず、すぐそばに置いていらっしゃる。

憂しとのみ・・・(須磨に来なければならないようにしてしまった主上 は恨めしいけれども、主上からいただいたお召し物に昔を思うと、かたじけなくて恋しいことだ。)一途に恨めしいとばかりは思われず、あれやこれやの理由で左右の袖が濡れることだよ。        (須磨)

さとう
さとう

和歌の訳に違和感を覚える人もいるかもしれませんね。和歌は本文中の前後の内容や和歌の修辞(和歌の文法)、単語の意味など様々なものを組み合わせて訳します。

完璧な訳はできなくても、おおまかな意味を取れるようになると得点に結びつきます。

「須磨の秋」 品詞分解

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解釈・まとめ

この頃の光源氏(主人公)の状況とは?

正室葵の上を22歳で亡くした源氏は、
幼いころより引き取って、
自分のそばで育てた紫の上と新枕を交わします。

その2年前には、当時東宮に入内する予定の朧月夜を見初めて関係を持っていました。

朧月夜の父は源氏と対立する右大臣。

右大臣は東宮の妻として良い地位で入内させようと思っていた娘に手を出した源氏が気に入りません。
元々源氏の正室葵の上は左大臣の娘であるから、対立関係にあります。

還暦になっても遊び続けろ様より
この時、光源氏と関係のあった女性たち

◇逝去した正妻・・・葵の上

◇思い続けている女性・・・藤壺中宮

◇大事な妻・・・紫の上

◇源氏が自分から身をひいた相手・・・六条御息所

◇若気の至り・・・末摘花

◇長い付き合い・・・花散里

◇謎の死を遂げた女性・・・夕顔

◇人妻・・・空蝉そしてその子軒端荻

26歳になった源氏は朧月夜との再度にわたる関係を右大臣に知られたことで、
心を決めて自ら須磨(神戸市須磨区)への退去を決意します。(ここが「須磨の秋」へつながる部分)

葵の上が亡くなって5年後のことです。

この時、18歳に関係を持った恋い慕う藤壺中宮は、
不義の子冷泉帝を生み、源氏24歳の時には出家しています。

源氏の須磨行きの原因は、朧月夜でもありますが、藤壺の存在も無関係ではないでしょう。

さとう
さとう

このような話の流れを整理しておくことは、本文理解に役立ちます。

受験で『源氏物語』を勉強する時は、今どのような状況なのか、場面を把握するところから始めてみましょう。

いかがでしたか?

『源氏物語』は長編です。その全てを読むことができればいいのですが、難しい場合もあります。一つの場面を、学校の授業や模試などで取り扱った場合は、前後の内容まで学んでしまうことをお勧めします。

ネットで検索をかければ、いくらでも解説してくれています。
面倒がらずに、1つひとつ押さえていき知識を増やせることを願っています。

この記事も皆様のお役に立てていれば幸いです。

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